れは話題になつたものだつたが、互ひに穿鑿すれば、その上は佐々木高綱あたりと関係があるものかどうか。
「小杉未醒(後放庵と改めた)は日光で五百城文哉についたあと不同舎で学んだ人であるが、略……作者その人に豪放な所があるやうで感傷的な一面もあるのと同じやうなものが、その作品の上にも窺はれるのであつた。」これは柏亭氏が日本絵画三代志の文章を結んだ言葉である。


     ○放庵号について

 小杉さんを「未醒」と呼ぶ人はやがて少くなつて来た。とはいつても、「小杉未醒」がなくなつたわけではなく、小杉さんをいまだに「小杉未醒」と呼ぶ方がなじみの深い古友古識の人々はあることだらう。現在の小杉さんからは殆んど完全といつてよい程旧の「小杉未醒」はぬぐひ去られて、新「放庵」と化つたのであるが、一体「小杉未醒」と称するこの「名」に鋳り付いた仕事の味は消えやらず、人の記憶にも、画壇の記憶にも、相当色濃く残つてゐるので、小杉さんの変貌はなかなか手間のいることである。
 いつから「小杉未醒」が「小杉放庵」になつたかといふことは、前後を細かく穿鑿すれば違ひも出てくるであらうが、かういへばわかりもよし、先づ大過も
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