なものとなつた。先生の加餐を念ずるや切なるものがある。
近頃の好季節に、小杉さんは、赤倉の、温度も滅多に八十度とは上らない山の中で、鳥の声や、草々、身辺の奇巌、いはなの棲む渓流。その中に悠々自適するのであるが、過ぐる戦災に、東京の家や諸調度の類を失つたことは傷心なるも、就中本を焼かれたことは、ぼくなんかもこれを思ふ度に、困つたことをしたと痛心する。よそごととは思へない。再三北京の瑠璃廠あたりを漁つて過去何年かに渉つて蓄積された、ちよつと二度とは手に入れにくからう本ばかりであるから、弱つたと思ふ。いや、小杉さんとしては、定めしこれが戦災の最大の痛手に相違ない。
小杉さんの老友に公田連太郎先生があるけれども、淡々として公田さん曰、私は多分君より先に死ぬであらうから、死んだら、私の本は、そつくり君のものとしてよい。しかし死ぬまでは貸しておいて貰ひたい、と。
小杉さんはかういふ友達を現実にもつてゐる。或はもつことの出来た、人間最大の幸福の所有者の一人といつていゝ人である。公田さんもまた小杉さんを介して逆に同じことのいへる、当代の高士だ。――思ふべきは、こんな竹林の中の世界が、ちやんと「小
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