ら基礎をたゝき直しに「弟子入り」しようとした時、小杉さんはいつたといふ。「それもいゝが、お互に日本ではシヨセイではない。一考は要るな」。言葉は違ふであらうが、意味はかういふことである。
やがては日本の大家を約された人達のその頃フランスに洋学した姿として、満谷さんも面白いし、小杉さんも面白い。小杉さんは「見識」を以つて――といふのは、必ずしも「手」からは行かずにアタマで――指針を掴んだのである。
そして小杉未醒は「画道」を発見して外国から帰つたのであるが、「小杉未醒」はそこで完成した。すでに漫画家未醒でもなければ、さしゑの未醒でもない。竹の台五号館の壁に左右上下両手を拡げても猶余る画面の行く人となつたのである。――ぼくはこゝで小杉さんの発見かつ完成した「小杉未醒」が、作家として何を一番獲たかといへば、大作の行く斯道を掴まへたことが、一つには画壇へのこの人の寄与であると共に、その人自身の十分な加餐であつたと思ふ。小杉さんの天性備はる装飾才能を大軌道へ乗せて押し出す恰幅を備へたのであつた。ぼくはこれを、小杉さんの第二期「中期」と見る。壮年期としても良いが、これが次の「放庵」に変るまで続く
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