はいふまでもなく、その他の人から推しても、小杉さんまで漢籍をよくこなして読み込んでゐる人は、異例になるだらうと思つてゐる。これを「趣味」や嗜みと見ようには過ぎるのである。小杉さん自身は決して「学問」とはいはないだらうけれども、寸毫ためにする読書でないところにいはゆる「書巻の気」が直接その人の血になつて、小杉さんの内に流れてゐるし、小杉さんの外へ流れる。相当浩瀚の史籍も小杉さんが愛情を籠めてその話をするところを聞くと、珠玉のやうに、いつも掌の中に存するやうだ。今後となつては、この「型」は益々無いことだらうし、今日に見るも、小杉さんの如き籍中の人は、稀である。
 誰でもおよそ生活を五十年の上に持ち越さんがためには――殊にこれをピンと張つて――何がな一本勝負で食ふか食はれるかに立ち向ふものがないことには、持てないと思ふが、恐らくは退屈か、倦怠か、老衰か……に堕ち込むのが末で、なかなか時間と精神とをまつたうに永くは人は持ち越しにくいものと思ふけれども、立ち向ふ目標と定めたものが大きく、困難ならばそれだけ、その人はそれだけしつかりしてゐるやうである。――小杉さんは画学については、ヨーロッパでルーベンスあたりのものを見た時から指針を感じて、一般の洋学するものは「油絵」のアブラくさゝを真似にも身に付けようとするのを、小杉さんはこの「アブラくさゝ」を仕事から逆に抜くことに目標を持つたやうである。ぼくの耳食がもし間違ひだつたとすれば取消すけれども、小杉さんは、たしかルーブルでルーベンスを見て「これは日本にはいけない」とつくづく感じたと話されたことがあつた。僕はさう覚えてゐる。この「日本人にいけない」の「いけない」は「行けない」の意味も伏在するだらうが、正面の意味は、「不可」の「いけない」であつただらう。
 脇本楽之軒氏は世界美術全集の(第三十二巻。第七十六図)小杉作「水郷」について「向ふ鉢巻の漁夫が小舟の中に立つて網を始末してゐる図で、シャヴァンヌの画趣があるとは、第五回の文展出品当時、某々批評家等が筆にしたところ……」といつてゐるが「シャヴァンヌの画趣」は当時作者の筆端に寧ろあるべき自然だつたのではないかと思ふ。小杉さんがヨーロッパへ行つて捕へた「画趣」の一つの粉本は、シャヴァンヌが一番身近かつたらう。
[#「未醒作「うがひ」見取図」のキャプション付きの図(fig47644_01.
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