ものである。会でいへば春陽会になるまで、時でいへば昭和になるまで、作者の歳でいへば四十代一杯まで。
 あるひは絢爛とか、くだいていふバツとした、また颯爽とした……小杉さんの「時代」は、この「中期」にあつたであらう。配する大観さんがあつたので、そこに繰り展げられる豪華版の東海道道中なども、未醒伝の貫禄にかけて荷の勝つものではなくなり、昔二十四の時(明治三十七年)戦時画報社からその腕章を付けて満州の戦線へ派遣された時には、
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未醒ガ此行ノ携帯品中、尤モ用ヲナセシハ兵卒ノ使フ所ノあるみにゆむ製ツル付キノ行厨器ナリ。飯ヲ容ルル二三食分悉ク提ゲ得可キハ第一、第二鍋ノ代リトシテ湯ヲ沸ス可ク徴発ノ南瓜豚肉ヲ煮ルベシ。第三蓋ヲ煙草盆トシテ煙管ポンポンナドノ便アリ、第四舎営ノ夜半ニ筆ヲ揮フトキ蝋燭立トスベシ、第五ハ即チ枕ノ代理而シテ彼ノぴすとるニ至ツテハ、幸ニ吾常勝軍ニ従フニ依ツテ徒ニ行李ノ重量ヲ増スノミ、更ニ一分ノ用ヲモナサズ。依リテ行厨器ヲ功一級トナサバ、ぴすとるハ応ニ位記返上タルベキカ(戦時画報二十三号)
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 小杉さんの同僚には、木村半心、芦原録、水島南平、岡部天籟、かういふ人々があつて、皆筆硯忙しく今日の字でいふ「報道班員」の仕事を競ひ合つたものだつた。――やがて、十年後の「小杉未醒」と、昔の同僚とでは、(小杉さんがこしらへたものではない)遠い開きが付くことになつた。
 ぼくはしかし「完成した」とはいつたけれども、美術を完成したとはいはない。小杉さんは先づ、「未醒」を完成したのであつた。そしてぼくに暴言さすれば、これが余人だつたら、小杉さんは颯爽絢爛たる「未醒」の幕の中で、相当安らかに眠つてしまふこと無きにしもあらず、小杉さんに美術と人生に対する求道が乏しかつたならば、到底人はよく「小杉未醒」から「小杉放庵」へと再蝉脱することは出来ない。普通人生ではこれは考へられない。「未醒」既でに画壇の大名である。しかし美術から云へば、到底「未醒」までの見識、発見、業績、態度では尽さなかつたところを、「放庵」以後の小杉さんには、――こゝに注意すべきは、その時小杉さんの手に持つた彩料は、洋彩でなく[#「洋彩でなく」に傍点]、和彩[#「和彩」に傍点]だつたといふこと――ぼくは小杉さんの描く油絵も、少くも、春陽会以後のものは「洋画」とは考へてゐない。
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