その時の模様を新聞は云う、「……此ノ盛式ハ東京知事ノ面前ニテ行フト有ル故ニ、大久保公ハ何処ニ御座ルカト見レドモ我輩ハ其顔ヲ知ラネバ何分ニモ見当ラズ、唯怪シムベキハ此正座ニ髭ガ生エタ猟師ヲ見タルノミ。」いずれも礼服揃いの満座の中にこの髭翁だけが「短カキ胴〆ノ附タル服ヲ着シ」とあって「早ク申サバ日本の股引半天ノ拵ヘユヱ、連座ノ西洋人ハ勿論、日本人モ扨々失礼ヲ知ラヌぢぢい哉ト横目ニテじろりと睨メタリ。」ところがそれが知事様だと隣席のものに教えられて「我輩ガ考ヘニハ此失敬老人ガヨモヤ大久保公デハ有ルマイ。」公はやはり今席にはいないのであろう。もし万一にもこの猟服の髭翁が公なりとすれば、公は公儀お目附大目附の役も勤めた人であるから、これには余程の深い所存あっての服装だろう、――と大いにヒヤかしてある。
思うに一翁は「洋服」ならば洋風儀式には何でもよかろうというわけで、半ズボンか何かで乗り込んだものだったろうが、一方、この翁・刀剣翁をして、出鱈目であろうと何であろうとも「洋装」させたものが、また時勢[#「時勢」に傍点]であったろう。
さきに誌したように、横浜から「洋物」は来るとは云っても、
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