」ではない。
ここには、その中から「ハイカラ」を取り出して、その特質を一応検査してみたいと思うのである。
ついては、これは、さきの「美人変遷史」に対する、「美男変遷史」…ではあるけれども、「美人」うつくしいひと[#「うつくしいひと」に傍点]と「人」にかけて大きく云っても、その「人」は「女の人」のことである。「男」の世界に対しては、「美男診断」と云ったところで、個々の「好男子」を数え立ててもイミはない。
明治の新派俳優の伊井蓉峰は、その名の「いい容貌」とあった通り、一世の美男を謳われたものだったが、もし伊井が「美男」・つつころばし[#「つつころばし」に傍点]かぎりのもので、晩年の阿久津(二筋道)の芸はなく、若い頃真砂座の近松ものを掘り返した頃とか、中頃さかんに白く塗って「不如帰」の川島武雄で泣かせた頃、これをもつて終った人だったとすれば? さしたる芸者[#「芸者」に傍点]ではなかったろうと思うのである。
晩年の阿久津は、その時すでに伊井は必ずしも「いい容貌」ではなく、その顔に皺もふえ、のどは筋張って、もはや「老い」にむしばまれた、云おうなら「醜男」になりかかったものだったにかか
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