ふ男はさうした人間なんだ。
お秋 …………。
秦 さうだから仕方が無えんだよ。
お秋 さうした人間だつて、あゝした人間になれない事は無いわ。その時が来れば。
秦 (ボンヤリと)さうさ、――時が来れば。(間)俺には今度の阪井さんの気持だつてよくわかるんだ。阪井さんの言ふことは本当だ。船の連中だつて仲仕の方だつて同じだ。連中がせつかくあゝやつてストライキを始めたのを、それを仲仕の方ぢや応援もしてやらねえで、あべこべに撲るなんて間違つてらあ。
沢子 随分けが人が出たつてね。
秦 あゝ、そん中の三四人はウツカリすると死ぬかも知れねえ。――みんなが阪井さんの言ふ事を聞かねえんだ。あの剛腹な、ウインチに片腕もぎ取られても笑つてゐた阪井さんが、泣いてゐたのを俺は見た。秦君、俺ももう手を引くよつて言つた。
お秋 手を引くつて、なんだつて又――。
秦 もう、あいそが尽きたんだろ。尽きもするわね。
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短い間
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お秋 本当にもう帰つたらどう?
沢子 お願ひだから、帰つて、私、苦しくなるから。
秦 あ、帰るよ。――(立上る)大事にして呉れ。(出て行く)
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間――お秋は今秦の言つたことをヂーッと考へこんでゐる。
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お秋 (気を変へて)沢ちやん、あんた、泣いてるんぢや無い?
沢子 ――いゝえ。
お秋 (薬包を見て)これ何?
沢子 新さんが持つて来て呉れたのよ。
お秋 薬なのね。――私にもようく解るわ。本当に、あんたも新さんも――。(語調を変へて)馬鹿だよ。
沢子 秋ちやん、私や、私や、もう――。
お秋 ほら、ほら、もう始まつた。私《わたし》や聞かないわよ。おのろけなら、もう沢山。
沢子 ――秋ちやん、――あんたは私《あたし》には、本当の姉さんの様に思へる。秋ちやんが居なかつたら私、もうとつくに死んでしまつてゐるわ。
お秋 (わざと嘲る様に)何を馬鹿々々しい! 私は、そんな、愁歎場は大嫌ひだわよ。いゝ加減そんなメソメソした事は聞き飽きてよ。初ちやんの時にも散々《さんざ》つぱら見せつけられてゐる上にさ――。
沢子 初ちやんだつて、そりや、秋ちやんをお母さんの様に頼りにしてゐたわ。
お秋 まあま、お母さんだなんて、可哀さうに私をいくつだと思つてゐるの。
沢子 だつて、そうだわ。秋ちやんがあんなに骨を折つてあげたからこそ、町田さんと一緒になれたし、それに。
お秋 もう沢山。――しかし初ちやんと言へばどうしてゐるんだろう。
沢子 あれから一度も手紙も来ないの?
お秋 それは、私が手紙のやりとりなんかしないと言つといたからね。あゝやつて、やつとこんな泥水の中から逃げ出せたんだもの、もうそんな泥水の事なんぞ、こつから先だつて思い出しちやいけないんだわ。
沢子 うまく行つてるかしらん。――杉山さんとはスツカリ手は切れたの?
お秋 そりや、もう、とつくに切れてるわ。――さうさ、うまくやつてるのよ、きつと。町田さんはあんなんだし、初ちやんは断髪だし、モダンボーイにモダンガールとやらで、よろしくやつてゐるのよ。
沢子 うらやましいわねえ。
お秋 うらやましいわ。
沢子 それと言ふのも――。
お秋 黙れ! ははは、これは阪井さんの真似よ。(右手を突出して)そんなこつ言ふのは黙れ!
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二人笑ふ。
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沢子 阪井さんと言へば、今秦さんが、騒ぎから手を引くと言つてゐたと言つたけど、阪井さんが居なければ、組合の方では困ると言ふぢや無いの。本当かしら?
お秋 何が?
沢子 手を引くと言ふこと。
お秋 私にやよく解らないわ。
沢子 近頃阪井さん来ないの、秋ちやんとこ。
お秋 時々来るにや来るけど、あのだんまり屋が、――たまに何か言ふと、黙れ!(右手を突出す)
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二人笑ふ。
階下《した》から呼ぶ女将の声。
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声 秋ちやん! 秋ちやん! 何よ[#「よ」に傍点]してゐるの? 秋ちやん!
沢子 おかみさんが呼んでゐるわ。
お秋 お客が来たんだわ。なに、少し放つときやいゝんだ。
声 秋ちやん! 何を又グズグズしてゐるの、少し下にも来てお呉れよ。私一人ぢや手が足りなくて困つてゐるんだから。
お秋 (障子から顔だけ奥へ突出して)はい、はい、今行きます。
声 はいはいぢや無いよ。御病人の看病は後にしておくれよ。この忙しいのに!
お秋 わかつてるわ。私、直ぐに仕度をしますから。
声 病気々々つて、何が病気だか本当に知れやしないよ。まるでお嬢様みたいに思つてゐるんだからね。(二階まではハツキリ聞へないが、まだグズグズ言ふ)
沢子 秋ちやん、私、今晩から起きるわ。その方がいゝわ。一人か二人のお客だつたら――。
お秋 何を馬鹿を言つて
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