お秋 ま、いゝわ、そんなに私を怖がらなくたつて、何も取つて食はうたあ言やしないから。
秦 なに、お秋さんからなら取つて食はれたつて、関やあしないけど、どうも――。
お秋 あんな事を言つてるよ。私の居ない時をねらつてチヨクチヨク此処へ来てゐる癖に。ね、沢ちやん。
沢子 (微笑)どうだか。――それで秋ちやん、どうだつたの、××の方は?
お秋 なあに、何でも無いのさ。初めつから別にどうしようと思つてした事ぢや無いんだもの。あの××なんぞ、私の背中を撫ぜたりしてね、俺が今度行つても、あげて呉れるかなんて言ふのよ。――人を馬鹿にしてるわ。
沢子 ――済まないわねえ、いつも秋ちやんにばかり苦労をさせて。
お秋 何を言つてゐるのよ。それがあんたの癖よ。これ位の事、私や苦労とも何とも思つてやしないわ。あたり前の事だわ。
沢子 済みません――。
お秋 ま、何を言ふんだねえ。――(三畳の方を顧みて)恵一はもう出かけたか知ら。
秦 さつき、何か怒つて出て行つた。
お秋 怒つて?
沢子 なに、私と少し話をしてゐたばかりよ。
お秋 (心配を押し包んで)あの子はとても[#「とても」に傍点]怒りんぼだからね。眼が見えないもんだから、ひがみ[#「ひがみ」に傍点]もあるのよ。
秦 眼は両方ともまるで見えないの?
お秋 えゝ。――見えないと言つても、眼はあんなに開いてゐるから、はた[#「はた」に傍点]から見ると盲だとは思はれない位よ。しかし時に依ると、物の形だけ極くボンヤリと見える時もあると言つてゐるんだけど、どうだか。
沢子 そんな事を言つて秋ちやんに安心させたがつてゐるのよ。――姉さんのためなら、どんな事でも、何でもする、と言つてたわ。
お秋 (寂しさを押しかくし笑つて)そんな事を言つたつて、盲の子供に何が出来るもんか。
秦 先に工場へ行つてたつてねえ?
お秋 えゝ、その頃はよかつたんだけど、生れつき弱い奴だし、それに、何ですか、工場であんまり細い仕事をさせられて眼を悪くしちやつてね。――しかしま、もう後二年もすれば相当のあんま[#「あんま」に傍点]さんになるつて言ふんだから。
沢子 さうなつたら、いゝわね。秋ちやんもさうなれば。
お秋 どうだか。あぶないもんだわ。
沢子 秋ちやんも、それから恵ちやんも、仕合せだわねえ。――私なんざ――。
お秋 また? 又、そんなに泣き出すの。泣虫――。私達姉弟にくらべて、お前さんがどう不仕合せだつて言ふの? もう後、たつた一年で何もかも気楽になるんぢや無いの。そりや、そりや、そりやかうして、こんな所にゐるのは、地獄にゐる様なものさ。だけど、そんな泣言を言へば、それがどうなると言ふの? 地獄は地獄さ。それがどうしたつて言ふの? 泣虫!
秦 さうだ、さうだ、そんな今更言つて見たつて――
お秋 それより早く、身体を治してさ、ピンとしてりや、そんな――。
秦 さうだよ。人間、苦しいことを言へば、きりは無えんだから。俺なんぞも、これで、お前――。
お秋 そんな事言つても、(咎めると言ふよりはなだめる様に)新さん、ノコノコ沢ちやんに通つて来るんだからね。小さいのは、達者?
秦 こいつあいけねえ? 藪蛇だ。もう帰る、帰るよ。あやまつた。
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三人弱々しく笑ふ。
[#ここで字下げ終わり]
お秋 (しんみり)おかみさんもだけど、小さいのには、よくしてやらなきや駄目よ。親に捨てられたが最後、子供はどうなるか知れないんだから。私達姉弟がいゝ見せしめだわ。
沢子 ――私も早く帰つて呉れと、先刻から言つてゐるんだけど――。
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秦、しよげている。
[#ここで字下げ終わり]
お秋 私にやわからないわ。新さん、私、変な事を言ふ様だけど、あんた、家を持つてゐる身体で、どうしてそんなにこんな所にばつかりやつて来るの?
秦 そんな、俺だつて、さう始終やつて来るんぢや無えよ。
お秋 だつてさ、さうぢや無いの? あんたが妻子《つまこ》がありながら、沢ちやんの所へ来るのも、度々言ふけどそんな気持も、私だつて解つちやゐるのよ。そりや人間には、自分がかうと思つても、さうならない事もあるもんだわ。――だけど、つまりが、それは間違ひだわ。
秦 そりや俺だつて――。
お秋 知つてゐるなら、どうしてさうしないの? しかし、私はさう思ふわ、物事はやつて見なきやならないのよ。やつてみなきや、出来るか出来ないか、わからないのよ。
秦 わかつた。わかつたよ。
沢子 この人はいくぢ[#「いくぢ」に傍点]無しよ。
秦 いくぢ無しだ。さう言はれりや――。考へて見りや家の奴等が可哀さうだ。さう思つてはゐるんだけど――。今度の騒ぎだつてさうだ。俺にはどうしなけりやならんかは、よくわかるんだ。それで何も出来ない。黙つて見てゐることしか出来ない。――俺と言
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