おそくなると、へえ、物騒だ。(自分は歩き出している)
旅の女 (離れた所で)忘れませんよ、お婆さん!
そめ お前さまも、つれえ事が有っても、短気起さねえでなあ!(そしてスタスタ歩く)
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鈴の音と下駄の音。
自転車のベルの音。
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娘 (前出)お晩でやす!
そめ お晩でやす。
娘 あら、婆さま、今帰り?(そめ返事せず。娘はベルを鳴らして追い抜いて行ってしまう)
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鈴の音と下駄の音。……それが、かなり長いこと続いて、やがてユックリとなり、フッと停る。
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そめ (ひとりごとの様に)つれえ事が有っても、なあ……(その言葉尻が涙声になり、やがて、すすりあげて泣き出す)
馬方 (遠くからガラガラと空車の車輪の音と馬のひづめの音と共に近づく。酔っているらしく、恐ろしく間伸びのした歌)イッサイコレワノ、パラットセと。はぁああ、伊達と相馬の、境の桜、ハハコレワノサ……こらやい、早く歩べ……ハイッサイコレワノ、パラットセと。はぁああ――誰だあ?(返事なし)え、おい? あれえ、シベリヤ婆さまでねえかよ。どうしたな、こんな所に?
そめ お晩で――
馬方 又、泣いてるだな、こねえな所で――チェッ、しょうのねえ婆さまだのう――だから、朝逢った時、あんだけ俺が言ってやったじゃねえかよ。シベリヤに居る息子は、役場に連れに行ったとて、どうならず? 無駄な事ぁ、はなっから、わかってんじゃねえかよ。それをさ、目え釣り上げて役場さ行っちゃ、日が一日サンザからかわれてよ、ガッカリして戻って来て、ここの橋の所まで来ると泣いてござら。しっかりせんと、今に、お前、川ん中にでもドンブリこいたら、どうしるだあ?
そめ 俺あ、まちがって、いやした。もう、へえ、こんな事しねえから――
馬方 へへ、まあ、そいつがお前の業つうもんずら。くたびれつろ? えらかったら、俺の車さ乗って行くか? なによ、どうせ空車だあ。乗りなよ、さあ――
そめ ありがとうござりやす。
かつ (小走りに近づいて来ながら)ああい、婆さまかよう?
そめ おかつや――
馬方 ああ内の人かよ。てえげえに[#「てえげえに」は底本では「てえけえに」]するがええぞ。こんな年寄りば、一人でおっぱなしてやってよ、たった[#「たった」は底本では「たつた」]今も、此処にぶっ坐って泣いてらあ。ケガでももしあったら、どうしる気だな、ホントに――
かつ すんましねえ。いくら止めても、どうしても行くつうて――行かせねえと三日も四日も変テコが治らねえもんだから――
そめ おらが悪い。おらが悪いんだからよ。
馬方 子供の可愛いいのは知れたこんだ。まして老い先きの短けえ婆さまが伜にこがれるのは、誰だって察しが附いてら。だのによ、そうた聞き分けのねえのはおめえ、ツラ当てが過ぎるだぞ。そうでなくても、近ごろの世の中なんて、おめえ、カンにさわる事ばっか多くて、誰彼なしにムシャクシャ腹だあ。何事が起きるか知れたもんでねえぞ。
かつ すみません、よ――これから、よく気い附けてナニすっから。
馬方 なによ、怒って言ってんじゃねえ。どうだ、車さ乗って行くかお前さんら?
かつ いえ、もう直ぐそこだけん。
馬方 ほうか。じゃま、やい歩べ――(馬がポカポカ歩き出す。空車の音)
かつ ありがとうございましたよ。
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ガラガラと遠ざかって行く荷馬車。
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かつ ……さ、婆さま、早く帰るべ。あんまり遅いで……じょうぶ心配したよ。めしの支度途中で、がまん出来ねえで、かけ出して来た。
そめ すまなかった。こらえてくんな。……
かつ 小僧はお前が居ねえで一日グズグズ言うしな。先にマンマ食わしたら、今日はもう、こうだ。
そめ おうおう、可哀そうに。眠りこけてら。どれどれ、おらにおぶせろ。
かつ いいよ、婆さま、くたびれてら。
そめ なあに、おらがおぶいてえからよ。
かつ そうか、んじゃ……こら小僧。(言いながら、おそめに、おぶわせる。ムニャムニャと寝言。鈴がコロコロ)大丈夫かえ?
そめ なあに、よ。……(二人歩き出す)
かつ まん中歩かねえと、暗えから、危ねえぞ。……ほら、内の灯が見えら。
そめ 源次郎、タンボから、あがったかや?
かつ たった今、あがった。(二人歩く)
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遠くで馬方の歌「はぁああ、伊達と相馬の――」が風に流れて来る。
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そめ ……ホントニ、お前にゃ、すまねえよ。……でも、知っちゃいるんじゃが――どうしてもジットしておれなくってなあ。お前にも、源次郎にも、みなさまにも、迷惑かけて――もうもう行かねえから、こらえてくんな。
かつ ……なあによ、来月も又、行くがええよ。別に人さまに悪い事するん
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