に弱り果てた声)お晩でやす。
青年 ……(それを見返り、見返り、歩き出し、癖になっているハモニカが口へ行って、「砂漠」のメロディ。ある所まで吹いてピタリとやめる。あとは、スタスタと地下足袋の足音だけが遠ざかる)
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コトコト、コロコロと歩いて行く下駄と鈴の音。
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男の子 (前出)やいやい、キチゲばば!
そめ ……(チョット立停るが、又、歩き出す)
男の子 とまれ! へえ、じょうぶ待っていたんだぞ、俺あ。(鈴の音がとまる)ホリョ、もどしてくれたかよ? うん?
そめ ……(やっぱり弱々しく、おびえた声)もどしてくれなんだわ。
男の子 なぜ、もどさねえだ?
そめ ズーッと、遠いんですと。
男の子 いくら遠くとも、おめえの息子ずら? そんだら、なぜもどさねえだ?
そめ あい。……
男の子 悪いぞ、そんな奴あ! へえ、俺ぁ、きかんから。
そめ ありがとうさん。……通しておくれんさいな。
男の子 これ、返さあ。
そめ なにな? ああ、昼間あげた十円だな? どうしてな? おっ母あに、しかられたかな?
男の子 しかられやせん。もう要らんけん、返さあ。
そめ ……そうかえ、そうかえ、良いお子だ。いいから、婆はいいから、明日になったら、坊やがキャラメル買うて食べなんし。(歩き出している)
男の子 要らんつうたら!
そめ ……(遠ざかりつつ)いいから、よ!
男の子 やいやい、やいやい! 息子のホリョの奴ぁ、今に帰って、来るぞう!
そめ (うれしそうに)あい。
男の子 (遠くから)バカア! キチゲばばあ!
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コロコロと行く鈴の音。
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旅の女 あの、もしもし。……ちょっと伺いますけれど。……(おそめは立停って、薄闇をすかして見ている)この辺に、何か食べるものを売ってくれる内はないでしょうか?(返事なし)……なんでもいいんですけど?
そめ ……なんな、お前さま?
旅の女 いえ、東京を立つ時にもう少し何か用意して来ればよかったけど、……夕方までには――この前、戦争中来た時には、バスが白浜まで行っていたから、その気で、夕方までには着けると思っていたら、いつの間にか、バスがほかへ廻るようになっていて……おなかが空いて、あなた、もう歩けないんですの。……白浜まで、まだ、二三里有るんでしょ?
そめ 白浜かいな? 白浜までだと、ええと、何千里つう――
旅の女 え?
そめ ううん。いや、そうさ――白浜と……
旅の女 この奥なんでしょ? 一度主人といっしょに来た事があるんですけど、よく憶えてなくて――
そめ そうさ、二千……いやいや、二里半かな。ええと……そうかや? おらあ、へえ、どうしたずらな? コーツ、と?
旅の女 どうかなさったんですか?
そめ いやいや、コーツと。……食う物だと、そいで?
旅の女 はあ、何でもいいから売ってくれる所は無いでしょうかね?
そめ さあ、この辺には、店屋なんぞ一軒もなし、……第一、もうへえ、暗くなんのに、お前さま一人で、なんでまた――?
旅の女 連れ合いの姉が、その白浜村にいるんです。いえ、先日急に病気で連れ合いが亡くなりまして……この子が有るもんですからね。
そめ (相手の背中をのぞいて)ああ、赤さんだなし。よくねぶってござら。
旅の女 連れ合いの――ナンの時も、そう言って来てもくれない姉ですから、さて行って見てもなんにもならないかも知れませんけどね……とにかく今後の身のふりかたを相談しに――ほかに身寄りもないもんですから――
そめ そりゃ、えれえことだ。そうかや。つれえこんだなし。
旅の女 いいえ、つらい事は覚悟して来たんですから、なんでもないんですの。ただ、おなかが空いて歩いて行く力がなくなっちまって――
そめ うんそうだ[#「そうだ」は底本では「そうた」]、おらに握り飯があるよ。ホイホイ。(帯のうしろにむすび附けた包をほどきながら)これ食って行きなせ、あい。
旅の女 え? まあ!、これ、いいんですか?
そめ ええとも、ええとも。竹の皮ごと持って行きなんし。
旅の女 それは、どうも。ありがとうございます。助かりました。なんでしょうか。いかほど、お金さしあげたら?
そめ なに、ぜになど要らんよ。それは、おかつがこせえてくれたおらのベントウだ。
旅の女 じゃ、お婆さんがお困りでしょ?
そめ あにさ、俺あ、へえ、食わずにすましただから。遠慮せずと、お持ちなせ、さあさ。
旅の女 そうですか。そいじゃ、どうも――おかげで、助かります。こんな所で、どこの方か知りませんけど――(涙声)忘れません。……ありがとうござ……
そめ あい、あい。(少しテレるような調子。しばらく前から、彼女の調子に、夢から醒めた人のような所が出て来ている)そんじゃま、早く行きなせ、
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