で笑っている。
 しかしもう飽きた。もうたくさんだ。なるほど、そいつの演出の外へ抜け出すことは出来ないかも知れないが、こうして、フフ、後ろを振向いて――見ろ――チラッと、こうして、そいつの顔をチラッと見てやる事は出来るのだ。そいつは、きまりを悪がって、顔をふせて、サッと居なくなる。又すぐ戻って来るが、いっとき居なくなる。その時間だけは私のものだ。この時間だけが私の自由だ。誰も私を演出していない。誰も私を見物していない。だから私は演じなくともよい。人のために自分の表情をゆがめる事なく、自分自身のためだけに僅かばかり生きるのだ。
 そうなのだ。私に入用なものは、生まのままの人生の荒々しい現実のひとかけらだ。ありのままの事実だけが必要だ。誰もが、それをああ眺めたり、こういじくったり、明るい光を当てたり暗いカゲを投げかけたりして色々の意味を附けない前の、全く意味のわからない、しかしたしかに現実そのものにはある――土の中から掘り出したばかりの、ひとかたまりの岩のように、荒れよごれて何の岩だかわからないが、岩であることだけはまちがいない、それだけが必要だ。犬は生の意味を悟らない。しかし生きている。
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