と、これは又何と言ふ丹念さで描き上げたものか、つまり大概の共同便所の壁に描いてある例の絵が、深刻な出来栄へである。絵の直ぐ上、つまり僕の鼻の先は中華料理店のコツク場の窓になつてゐて、そこでコツクがシユウマイをまるめてゐる。鼻声で流行歌を唄つてゐるが、なんとも汚ならしい垢だらけの青年だ。僕の鼻にはシユーマイの匂ひがして来る。勿論足の下の共同便所からは小便の匂ひも立ち昇つて来る。ヘドが出さうになつて来た。
 小便は終つたけれども、どうにも店に戻る気にはなれない。注文しつぱなしで、金も払はないで行つてしまふのは、青んぶくれの女給に気の毒だし、それに下手をしてふんづかまりでもしたら叩きのめされるかもわからないとは思つたが、だからと言つてあのシユーマイを食つたら俺は死ぬかも知れないぞと、臆病者にありがちの大袈裟な恐怖にとらへられてしまへば、もう絶体絶命である。まゝよ、女給さんには、又今度あやまらうと覚悟をきめるや、殆んど一目散に露路を走り出して逃げ出したが、暫く行つてチラツと振返つたら、誰も追ひかけて来る気配も無いのは、笑止であつた。
 その後もあの近くを通る毎に、あの女給に十銭銀貨を渡しに寄ら
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