出来た。(言ひながら、病室の方へ行く)もう大丈夫ださうだ、でも用心のため、もう一本打つとこうと言ふんだ。こんなもん大して効きやしないがね。どうせゼラチンをどうにかした薬だらうからな。……直ぐ、やるかい?
美緒 ……痛いから、いやだ。
五郎 ハツハ、ちつとは痛いよ。
美緒 その代りに、この吸入を、よしてくれたら、やる。
五郎 又馬鹿を言ふ。吸入よしたら又息が苦しくなつてヒーヒー言ふぜ。
美緒 うゝん、もういゝの。……とても、らくになつた。……それに、今日は赤井さん達来るんでしよ? こんなものしてゐて心配させちや悪いわ。ね、取つてよ。……ホントにもう何とも無いから……だいち、変に臭くつて、いやだ。
五郎 赤井が来たつて平気だ……でもホントならチヨツトの間、よしてやつてもいゝ。(吸入器を片附けながら)どうだい、平気かい?
美緒 えゝ。……却つてセイセイしてよ。
五郎 ……だが、比企さんが丁度来てくれて、実に助かつたなあ。やつぱり、ありや良い医者だね。処置の仕方が徹底的だよ。一番ひどい時に、お前の手足の根元をギユーギユ―しばり上げたにやチヨツトびつくりしたがね。だが、考へて見ると、止血の方法としては原始的だが一番効果があるわけだ。
美緒 でもしびれて痛かつたわ。まだ跡になつてゐてよ。……比企さんも京子さんも、臨海亭でよくして呉れてるかしら?
五郎 大丈夫だ、昨日も俺が行つて頼んで来た。(酸素筒の始末をしてゐる)
美緒 ……京子さん以前よりも綺麗になつたわね?
五郎 そうかね。……
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短い間。
[#ここで字下げ終わり]
美緒 あなた、少し眠つたら?
五郎 なに、いゝよ。大して眠くないよ。
美緒 でも、もう四日四晩よ。……私がいつ眼をさまして見ても、あなた、おつかぶさるやうにして私を睨んでゐるんだもの……。眼をグリグリさせてさ……私、しまひに滑稽になつたわ。
五郎 へつへ、おつしやいます。ボロボロ、ボロボロ涙ばかりこぼしてゐたくせに。
美緒 だつて苦しいんだもん。……あなたつたら、咳をするな、……こらへろ、……気を鎮めて、……戦争だぞ……咳をするな……呼吸《いき》をするな……。あなた、憶えてゐて?
五郎 馬鹿言え。呼吸をしなかつたら、出血も止るだらうが、命もとまつちまわあ。
美緒 だつてさう言つてよ。……行《ぎやう》だ、行だ、行をしてゐるんだ。俺もしないから、お前もするな、呼吸をするな!……覚えてゐるわ、私。……あんなに落着いてゐるやうでも、あなたやつぱりアガツてしまふんだわ。……フフフ……でも、大丈夫かなあ?
五郎 なにが?
美緒 ……だつて、私が咳をすると、あなたの顔や胸の辺まで……トバツチリで真赤になつたわよ。伝染らんかなあ?
五郎 伝染るもんか。伝染るもんなら、もうトウに伝染つてら。そんな心配は手遅れだ。
美緒 あなたが又私みたいになつたら……私、どうしよう?……、私、時々……あなたも私と同じやうに……病気にしてやりたい事があるの。
五郎 どうしてだ?
美緒 どうしてだか。……意地が悪いでしよ?……もしかすると私には……なんか悪魔みたいな、恐ろしい性質が有るかも知れないわよ。……よくつて? (眼だけ鋭く五郎を見詰めたまゝ、顔はニコニコしてゐる。それが何かゾツとするやうな印象である)
五郎 (少しドキリとして)……。(押し殺した声で)いいよ、お前が悪魔なら俺も悪魔だ、伝染したきや伝染せ。そして二人で一緒に死ぬか。フツフフフ。
美緒 ……私、とても滑稽になる事があるの。
五郎 なにが?
美緒 ……だつて私は死ぬまいと思つて、こんだけ気ばつてゐるでしよ? あなただつて、そのために苦しんでゐるわね。……だのに私がもう生きてゐまいと思へば実に簡単なの。かうして、グツと舌を噛めば、それでおしまひ。とめようと思つてもあなたにもどうする事も出来ない。さうぢやなくつて?
五郎 ……(相手を睨んでゐる)
美緒 ……ねえ。あのね――。
五郎 うん?
美緒 神様は在るの?
五郎 なんだよ? 神様?……(びつくりして相手を見詰めてゐる。美緒の頭の中にどんな思考が往来してゐるかを見透さうとしてゐる。不意にわざとニヤニヤして)ハツハ。お前、病気がつらいんで、神様が欲しくなつたのか? 俺が何と答へればお前の気に入るんだ? 欲しきや、いくらでも作り出したらいゝぢやないか。
美緒 (眼をカツと開いて、五郎の調子に乗つて行かうとしない)うゝん、はぐらかさうとしたつて駄目。……[#「……」は底本では「・…」]私、まじめよ……聞かして。……私、あなたの言ふ通りに信じるから。……[#「……」は底本では「…‥」]だから、あなたもまじめに言つてよ。うゝん証明して貰はなくともいゝの。理窟は要らない。本当の事を一言で言つて! ……神様は在る?
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