りようが無いのである。みじめなみじめな姿。両手がピクピク痙攣してゐる)
尾崎 (スケツチ箱をしまひながら)僕あ、猿だよ。ハツハハ。キツ! キツ! キツ! キツとね。ヘツヘヘヘ、ヘヘ。
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間。……沖を通るポンポン蒸汽船の響。
次第に坐つてしまつた五郎。歯を喰ひしばり石の様になつたまゝ、猿の鳴き真似をジツと聞いてゐる。尾崎は又あばれられては困ると思つて横目で、五郎の方をチラリチラリと見て、少しづゝ後しざりをしながら、ヘラヘラ笑ふ。そこへ、母親と恵子が戻つて来る。
[#ここで字下げ終わり]
母親 やれやれ、砂の上を歩くと、くたびれるもんだねえ……(五郎に)お話は済んだの?
五郎 ……。
尾崎 やあ……済みましたよ。ハハ、済みました。
恵子 (五郎の様子が変なので)五郎さん、どうかなすつたの?
五郎 ……え? いや、あゝ、なに。
母親 そいで、あの、名古屋の地所と家屋の書換への事なんですけどねえ。ねえ、五郎さん(といきなり勢ひ込んで語り出す)……もともと、あれが美緒の名儀になつてゐると言ふのが、死んだあれの父親が散々道楽をして、次から次と家の不動産を金にしちや使ひ込んでしまふもんですからね、このままにして置くと子供達の養育費なんか無くなつてしまふと言ふのでお祖父さんが心配なさつて、父親を言はゞまあ禁冶産と言つた風にして分家させてしまつて、その後へ長女の美緒を戸主に直して、現在残つてゐるだけの地所家屋の名儀人に立てたんですよ。その辺の所は、あんたも知つてゐますね。
五郎 ……えゝ、知つてゐます。
母親 そんなわけだから、初めつから、どうせ利男が大きくなれば、何と言つてもあれが長男だから、地所も家屋もあれに来るのが当然なんだから、早く戸主に直して利男のものにしてやらなきやならない物なんです。それが延び延びになつてゐたのは、書換へには、なんでも六百円以上も相続税やらなんやらかゝるさうで、それが内でも、美緒の病気やなんか次々と物入りで、それだけの現金がどうしても浮いて来なかつたものですからね、それでさ――。
五郎 えゝ、よくわかつてゐます。……そりや利ちやんが受取られるのが当然ですから、どうぞそんな風に――。
母親 それがですよ、利男もあゝして学校も無事に卒業して就職すれば間もなく嫁も取らなきやなりませんしね、そして結局、行く行くは私も利男にかゝらなきやならないし、僅かな物でも、早く片附くところへ片附けとかないと安心出来ませんからねえ。
五郎 ですから、御自由に書換へをして下すつてもいゝだらうと思ふんです。美緒には、少し良くなつたら、僕からさう言ひますから。
母親 このままズルズルして居て、もしかして美緒に万一の事でもあると、当人が居なくなるわけなんだから、又々面倒な事になります。この間弁護士に聞いたんですよ。いえさ、私だつて、どんな事があつても美緒を死なしたくはありません。自分の腹を痛めたかしら娘なんですからねえ。このまゝポツクリ行かしてたまるもんですか。(泣き出してゐる。彼女が娘を愛してゐることは真実なのである)でも人間、老少不定といふ事はありますからねえ。それに美緒が今の様な有様では、あんまり安心しても居れないんですから。(泣く)
五郎 ……(心にズキリと斬り込んで来るものがあるが、黙つてこらへてゐる)
恵子 母さん泣いたりして、エンギが悪いぢやないの、姉さんまだ死ぬものと決つたわけぢや無くてよ、馬鹿ねえ。(と人柄とはおよそ不似合ひな事を言ふ)
母親 だつてさ、近頃の美緒を見てごらんな。あんなに綺麗な顔になつてしまつて。死ぬ病人は綺麗になるもんだからねえ、私あ、あの子の顔を見るたんびに、ドキツとするんですよ。私あ、あれに今死なれたら、今死なれたら、どうして生きて行けるんだか。……ホンにならうものなら私が身代わりになつて死んでやりたいよ! ホントに! (泣く。これは全く正直にさう思つて悲しがつてゐるのであつて、嘘でも偽りでも無いのである)……たつた卅過ぎやそこらで、貧乏ばかりして何一つ楽しい目も見ない……良い着物の一つ着るんじや無し、気だての良い子は早く死ぬと言ふが、……こんな事なら、もつと良い目を見せて置くんだつたよ。
五郎 ……(相手の言葉がピシリピシリと自分を打ち叩くのである。その打撃に首を垂れて動かない)
恵子 母さん、……五郎さんにそんな事を言ふもんぢやなくつてよ。
母親 え? いえさ、私あ五郎さんに当てこすつてこんな事を言つてゐるのぢやありません。だつて可哀さうぢやありませんか。
五郎 ……済みません。……しかし、……しかし、美緒は死にやしません。……死にやしませんよ。
母親 だつて。あんたがそんな事言つたつて、あの分ぢや、どうなるかわかりません。そいで今の内に、書換へを済ましとかないと、ポクリと行かれ
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