あ一個の画描きだ。それで沢山だ! 徒党を組んで押し歩かうと言ふ慾望なんか無い! 野つぱらをたつた一匹で歩いて行く狼でたくさんだ。ましていはんや、そんなくだらない芸術政治や策謀なんか、骨がシヤリになつてもいやだ。ことわるよ!
尾崎 ……ふーん。……そいで、そんな偉らさうな事を言つてゐて、生活はどうするんだい? 金はどうするんだ? 君の言つてゐる事は、現在では自分の生活を拒否すると言ふ結果になるぜ?
五郎 そんな事あ無い! ……万一さうだつたら、俺あ食はなくつたつていゝ。
尾崎 さうかねえ。……しかし、ぢやあ、奥さんはどうするんだ?
五郎 なに?
尾崎 そんなおつかない顔をするなよ。金が無くつて、あの奥さんをどうするんだと言つてるんだ?
五郎 ……。殺す。
尾崎 なんだつて?
五郎 俺が殺す。殺してやる。
尾崎 冗談言ふなよ。第一、僕がたつた今、金を返してくれと言つたら、どうするんだ?
五郎 ……だから、だから、月末まで待つてくれとこれ程頼んでいるぢやないか?
尾崎 勿論、それでいゝと僕も言つている。唯、君が、ひどく古めかしい潔癖さのために不必要な苦しみをなめてゐるから同情してこんなことを言つてゐるんだ。ハツハハ、昂奮するなよ。
五郎 ……いよいよ困れば俺は荷車引きにでも何でもなるから放つといてくれ。
尾崎 同じ事ぢやないかね? 芸術の世界に入り込んで来てゐるいろんな現実も醜いと言へば言へるけど、そんな物をも消化したり吸収したりして芸術それ自体も肥えて行くんだと僕は思ふがなあ。
五郎 知つてるよ。現に俺もそれをやつてる。しかし水谷さんの話は駄目だ。
尾崎 これだけ言つてもわからんのかねえ! ……全体君は人間を見るのにキレイな人間とキタナイ人間との二色にハツキリ区別しすぎるよ。さうぢやないか! 現に君があれ程讃美してゐるツンボの小母さんにしたつて、結局人間だ。つまり、水谷さんや此の僕とチツトも違はない性質を持つた人間だよ。腹ん中にやドブも有らうし、慾も持つてる――。
五郎 (遂に火の様に怒つてしまつた)黙れ! 小母さんはな、俺達からなんの報酬も期待しないで、あゝして身を粉にしてやつてくれるんだ。それをそれを――君なんかが、小母さんの事をどのツラ下げて言へるんだ! 君は唯の金貸しだ! 人に金を貸して高利を取つてゐりやいゝ人間だ! 画描きの真似事をして芸術家ぶつた事を言つてゐ
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