ですが、なにぶんの示達があるまでは、在外資金はそのまま置くより仕方がありませんの一点張り。そんなら黙っていないで、当方の事情を訴えて、せめて引揚者の当座の生活資金だけでも肩代りをして支払えるような許可を受けてくれと言っても、駄目。卑屈になり切って、言うべき事も言えない。まるでどうも!
柴田 困るねえそれは。同じような人がずいぶんあるんだろう?
三平 ずいぶんのだんの候のって。何十万、いや東京だけでも――今日も帰りに浅草の寺に寄って見たが、――引揚者収容所です――都内だけでも二十箇所近く有るのが全部超満員――その連中が殆んどまあ、その土地々々の預金はそのままにして戻って来てるんだから。十年二十年、粒々苦心の結晶が、こら、こうして(内ポケットから、書類のたばを出して食卓の上に投げ出す)ただの紙っきれにこそは、なりにけり。
柴田 しかし、その内には、払い戻してくれるんだろう。
三平 その、その内には、だ、私等あ、一人残らず、かつえ死にに死に絶えていたってね。ふっ! その内に戻って来る十万円がなんになります? 今日たった今百円でも二百円でも無きゃ、私等ぁ生きちゃ行けないんだ。私ぁね、今日帰って来ながら、いよいよ闇屋になる決心をつけた。なあに、その気になりさえすりゃ、なんでもない。なんでも肌着を全部二重にして、それをちょうど防弾チョッキみたいに一面に小さい袋になるように縫っといて、それに全部買った米を入れて胴中から足の先まで巻きつけて来るのがあるそうだ。そうすれば一斗五升位は持って来れる。そうして一年三百六十五日汽車に乗ってあちこちしていれば、暮しが立つと言う。こんならくな稼業は無い。第一、そうなると、殆んど汽車の中が宿屋で暮せるんだから、此処の室にこうして厄介にならずに済むからね、ははは。
柴田 ……そりゃまあ、なんだが……此処にはいつまで居てくれても、私らはかまわんが――
三平 しかし、兄さんの方だって、三瓶の方から立退きを迫られているんでしょうが?
柴田 ……そりゃまあ、あけてくれと言っちゃ来ている。しかし三瓶さんの方じゃ、とにかくまあ、疎開先で腰を落着けて居られるんだから――それに此処だって、使えるのはまあ此の室だけで、どうせ三瓶で取戻して見てもチャンと住まえるわけはなし、それを話して当分、まあ、居さして貰うとして。――それよりも、その、君が、闇屋になると言うのは……なんとか他に方法は無いもんかねえ?
三平 そら始まった。
柴田 いやいや、私の言うのはだな――
三平 たいがいにしなさいよ、あなたも。ねえ誠君?(誠、答えず。うつむいて鉛筆を動かしている)そうでしょぅ? 生命をつないで行くために、人間がしちゃいけない事なんか、世の中に何一つ有りゃしませんよ。
柴田 しかし、どうせ闇屋などをしても、ホンの一時のことだろう。それよりも、なんとかこのチャンとした方針を立ててだなあ――
三平 人世、すべて、その一時でないことがありますかねえ。時にこうした有様の現在とあって見りゃ尚の事。昨日は夢の如く、明日はどうなり行くか、双葉じゃないがアラアの神も御存じなしです。チャンとした方針などが有り得ると考えることからして一つの妄想だねえ。強いて方針と言やあ、一刻々々と次々にどんなに奇妙な、どんな奇怪な事が起きてもですね、――たとえばアラフラ海の海底から四斗樽ほどの海蛇が出しぬけに此処へやって来て、一緒にダンスを踊りましょうと申し出てもだね、又、一時間もして不意に私がアモックにとっつかれて、そこの薪割りかなんかで兄さんをはじめあなた方全部を皆殺しにしてもですね、今更びっくりしないと言う事だなあ。
柴田 また、でたらめな事を――
三平 でたらめだとしても、そいつは私のせいじゃない。今の時代がそうなんだ。人間は、何百万のお仲間の人間を殺したばっかりのところでね。
誠 (眼をあげないで)南米ゴロ的な詭弁だ。
三平 (ジロジロと誠を見る)……「南米ゴロ的」は、君の言う通りだ。しかし詭弁じゃないね。
誠 戦争を計画し挑発したのはファッショですよ。
三平 そりゃ、そうのようだがね。結果さ、私の言っているのは。つまり人類だ、人類が人類を殺したと言う全体としての事実は、どういう事になるんだい?
誠 そんな人道主義的な戦争観自体がファッショです。
三平 (……誠の言い方の、静かだが、しかし毒々しい位の真意をこめた調子に対して、相手に眼をやりながら、しばらく黙っている。しかし又、殆んど表面には何の反感も現わしていない淡々たる語調で)ありがたいが、その褒め言葉は返上しよう。私はファッショでさえもないからね。せいぜい国際的ルンペン。……駄目さね、もう。つまり、倭寇のキンを抜かれたやつ――デゼネレートした倭寇さね。ハハハ……(笑いながら調子を変えて柴田に)だが、兄さんも、いい
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