いていた。……誰?
双葉 ……お父さんの学校の学生の人――
三平 そうかね? だが、馬鹿はおだやかでない。先生だろう、すると、兄さんは? 先生のことを君――
柴田 いやいや、いいんだ。ありゃ、りっぱな青年だ。
三平 りっぱな青年が、上長に対して――近頃、そんなふうになって来たのかね?
柴田 まあ、いい。
三平 道義、地に落ちたり。ふん。Pero nun ca selo digas(帽子をぬいで、ドシンと椅子にかける)
双葉 お父さん。手や足をお洗いになったら?
柴田 そうさな。
双葉 水を汲んで来ましょうか?
柴田 なに、井戸へ行こう。(フラリと立つ。双葉がその背に片手をかける)いいよ、一人でいい。
双葉 いえ、私も畑に御用があるの。(力なく歩く父を助けながら上手の扉の方へ)
三平 腹がへった。フーちゃん、腹がへったよ。
双葉 はい、直ぐ、なにしますから。(父と共に外に消える)
三平 どうした誠君?
誠 (横になったまま)ええ。
三平 どうかね、社の方は? ストライキは、いよいよ、はじまりそうかね?
誠 ええ。
三平 元気が無いね。これから君、戦闘をはじめようと言うのに、そんなグッタリしていちゃ駄目だな。そもそも、この――
誠 叔父さん、双葉は買出しに行って、今日もあぶれちまったらしいですよ。
三平 あぶれ?
誠 ――なんにも買えなかったらしいんです。
三平 ……ホントに田舎にもそんなに無いのかね? そりゃどうも考えられんね、闇市はもちろん、さかり場へ行きゃ、なんでも売っている。
誠 ――無いんでしよう。もっとも、物が無いのか、金が無いのか、わからんが。
三平 ふむ。それで、しかし――
誠 非常に弱っています。双葉がノンキそうな事を言う時は、参っちゃってる時です。そんな奴なんです。
三平 うむ、……いや、君達のお母さんも、そうだった。母親に似たんだね。私は、自分の妹ながら、感心したことがある。よくできた女だった。うむ。もっとも、そのために苦労が内にこもってしまって――つまり内攻して、若死にしてしまった。そう言っちゃなんだが、君達の親父なんて言うもなあ、学者だかなんだか知らんが、人が善いばかりで周囲の人間をどんなに犠牲にしているかわからんのだからねえ。つまり善意に依って人を殺すというやつだ。それを考えると、なんだ、心の中が苦しい時に顔はニコニコしていると言った式の東洋風の習慣も、一種の罪悪だね。人間、他人に対して正直である前に自分自身に対して正直である必要がある。日本人も、そこいらから始めるんだなあ、うむ。
誠 違うんだ。
三平 う? なんだ?
誠 (ユックリ起きあがって)僕の言うのは、そんな事じゃありません。
三平 だって、そうじゃないか。ぜんたい、君たち、柴田一家には、みんな同じような悪習慣があるね。自分の考えたり感じたりしていることの、一番かんじんな事はすこしも表に現わさない。はなはだしい場合は、腹の中で泣いていながら顔では笑っていたりする。早い話が、死んだ信子だ。死ぬ位だから、よっぽど悲しかったのだろうが、なら、なぜ正直に泣いたりわめいたりだな、つまり、その通りにふるまった上で生きて行かない? それを、涙ひとつこぼさず、遺言ひとつ残さないで、アディユ! ふん! きれいだったそうじゃないか――しかも年は若いし、医学校は卒業している。オウ! ツウ・エンド・ツエンティー! もったいない! ――そいつが、だまって、アディユ! 生命に対する冒涜だよ。死ぬほどの気持なら、生きて行けぬ事はない。これを要するに命さえ捨てれば能事終れりとする、愚劣な、神がかりのセンチメンタリズム! 私はそれを思うと――
誠 信子の事は、よしましよう。(ズックのカバンから印刷された紙のたばを取り出して机の上に開く)
三平 そら、そら、君にしたって、すぐそれだ。なぜ、よす必要があるね? あくまでその原因と動機を追究して、そんな風なセンチメンタリズムの愚劣さかげんをハッキリと認識してだな、われわれが今後もうそんな馬鹿なことを繰返さないようにする事こそ、信ちゃんの死を最もよく弔うゆえんになるじゃないか。そら又、そんな顔をする。君だってマルキストだろう? そうだろう? そんなオツに悲しそうな顔がマルキストの顔かね?(誠、無言で苦笑する)笑ってるね? 笑いたまえ! 私あ、あちらでもマルキストをたくさん知っていた。立派な奴もくだらん奴も居たがね、とにかく日本の近頃のマルキストのように東洋豪傑風にセンチメンタルな、それでいて自分に対して不正直なマルキストは一人も居なかったねえ。これも日本の特殊性かね? まるでどうも、アジャンタ洞窟の石仏だ。東方の微笑と言うやつ!
誠 ……喋るなあ。
三平 うん?……(キョトンとして)うむ、はは。(顔を平手でゴシゴシこする)いや、ちかごろ
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