ではしなくたって、間接的に、つまり欣二やおせいさんやなぞが闇で買って来たものを食べないわけにはゆかない事も知っておる。……不合理だ。人は笑うだろう。自分の不合理は承知している――それはしかし唯意地になっているのではない。……倫理道徳から来ているのでもない。……戦争中は、あれだけの苦しい戦さを国民全体がしているのだから、私など、それ位当然だと思ったから……又こうなって、自分達の愚かさのために、よその国に迷惑をかけた。戦勝国でさえ自分達の食糧をさいて日本にくれている。その日本のわれわれが、この敗れた国の人間が、これ位苦しむのは、あたりまえだと思うからだ。……それに、それに、私は、こうなっても、まだ日本人を信用している。……最後のところで、信じている。日本人は――役人にしろ誰にしろ――日本人が私を殺す筈はない! 日本再建のためには、闇をするなと言っているその言葉を守って――なんとかして守ろうとしている私を、日本人を、見殺しにする筈はない! え? そうだろう? ……万々が一、これで死ぬならば、われひと共に、これが日本人のホントの姿、運命――身から出たサビと諦らめて、私は死ぬ。……いいかな? 歴史の勉強のこれが、私の実は出発点だ。日本人を信じている。これが出発点! ……それが崩れれば、私の学問も崩れる! 日本人一人々々の自己完成無くしては、学問も、日本の再建も、あり得ない! これが、崩れれば死んでも惜しくない! ……しかし、そんな筈はない、絶対に、そんな筈はない! 私は信じている! やって見せる! な、誠、わかるか? わかってくれ! 賛成するしないは、別だ。わかるだけは、わかるだけは、わかってくれ! そ、そ、そ――(再び喘いで、絶句する)
誠 ……わかります。お父さんとして、そう考えられるのは、当然でしょう。しかし一人々々の自己完成の方法には限度があります。全体が改革されなければ自己は完成できません。父さん一人が死んで見せたって――
双葉 兄さん、もう、よして! たくさんです! よして、兄さん!(片手で誠をさえぎり、片手で父親の腕を掴む)
柴田 う? (無意識に双葉の顔を見上げた顔の色が真青に変っている。しかし直ぐに又誠の方を見て喘ぎながら)なんだ? 言ってくれ、聞こう。相手が父だからと言って遠慮することはない。(双葉に)よろしい、よろしい。
誠 ……(父の様子を心配そうに見ながら、しばらく黙っていてから、つとめて静かに)……そんなふうな考え方は、お父さんの国士気取りの哲学癖に過ぎないと思います。……明治維新以来の日本の歩みがどうであろうと今現に現実の問題としては、先刻言った――つまりイエスかノウの二つの立場しかないんです。その中間のどっちつかずのボンヤリした「国民的立場」なんて、実は存在しやしないんだ。われわれは自分が今立っている現実の関係に立って歴史を見る。好もうと好むまいと、意識しようとしまいと、そうです。問題はお父さんが、どんな立場に立っているかと言う事だけです。
せい (どうなるかと思う心配のために、ハラハラと唇まで顫わせていたのが、こらえきれずに誠の言葉をたち切って)もう、あなた、いいじゃありませんか!いいえ、私は、なんにも知らない人間ですけど、先生のお気持は、よくわかります。そんな、あなた! (小走りに炊事場へ行き、コップを取って水を注ぐ)
誠 (そのせい子の方をジロリと見てから、つとめて自分を押えながら)なるほど、それは良心的です。誠実だ。しかし良心的で誠実であるだけに尚いけない。それはどこにも規準を持っていない。奉仕すべきものを持っていない。良心も誠実も抽象的に幽霊として宙に浮いてフラフラしているだけだ。だから最後にそいつは、遂にファッショのために利用されるだけです。現に利用されたんだ。うっちゃって置けば今後も利用されます。かって僕自身がそうだったんです。(柴田答えず。それは答うべき事が無いからではなくて、しきりと何か言おうとしても昂奮と疲労のために声が出ないのである。そこへせい子がコップに水を持って来て渡す。ブルブル顫える手でそれを受取って喘ぎつつ飲む柴田)……日支事変が始まってからもズーッと、太平洋戦争になるしばらく前迄――つまり僕がつかまる前迄、僕ぁハッキリしたイデオロギイなんぞ何一つ持っていなかった。たかだか素朴な社会主義思想――それにお父さんから注ぎ込まれた民族主義――そうです、僕ぁ、たしかにお父さんから育てられた、お父さんの弟子です。今でも或る意味でそうです、残念ながら。――とにかく、漠然として良心的進歩主義者と言ったとこでした。ところが奴等は僕等のような生まぬるい者まで邪魔になり出したんだ。それだけ奴等自身が追い詰められたんだ。そいで、つかまった。いじめ抜かれました。……奴等から僕は教育されたんです。正確
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