スタア級の俳優に払っているような高額の報酬は払えないであろう。又、それらの劇団は、その成員の一人々々に、ただ時々痙攣的に片手間的に劇団活動に参加することを許しはしないであろう。全幅的に恒常的に永続的に劇団活動をすることを命ずるであろう。
そうすれば、それらの劇団はその成員全部に、少くとも毎月四十円から百円までの月給なり分配金なりを支給することが出来る。つまり、全員は、食える。勿論、その創立初期に於ては、又時に依って或る時期に於ては、種々の原因から赤字を出すかも知れぬ。しかし、すべての仕事には、時に依って赤字や借金は附随するものだ。赤字や借金の存在が即ち「食えない」と言うことにはならないのである。借金して食って行きながら仕事をして行くことも「食える」内なのだ。理窟ではない。事実として、そうではないか。
いつでも、そして、いつまでも黒字ばかりでやって行ける事業や運動が世の中に在ると思うか。君の頭の中から、すべての妄想と恐迫観念のクモの巣を払い去って、事実をありのままに見るがよい。
6
君は更に、かつての新築地劇団その他を回想して、「食えるときめて割出した人件費を毎月捻出しなければならぬ苦しさから、やがて知らず知らずの間に針路が曲るようになった。仕事……演目の配列などに濁りが生じて来た」と言っている。
これは僕には非常に奇怪な言葉に響く。それ自体としても奇怪であるし、特にそれを君が言うのは尚更奇怪である。奇怪で、そして、まちがっている。なぜか?
先ず、新築地劇団その他の新劇団に、針路と名づけるのにふさわしいものが有ったか? 無かった。有るものはただ、社会と国家の実際生活から遊離し得るだけ遊離し切ったエセ知識階級の一人よがりの「芸術的良心」と「進歩的気分」とが許し得る限りの右往左往と、あれやこれやの選択と、それから、実際生活の責任と自信とからくる全く見離されたルンペンの頭が描くあれやこれやの物への無反省無計画の追随とが有るだけであった。これも言えとならば、実際の実例をあげて証拠立てることが僕に出来る。それは、なるほど「芸術方針書」などと言う紙の上には在った。また、外部に対する言葉の上だけには在った。しかし、実際に於て――つまり、その劇団の個々人と全体を実際上統制し統一するものとしての針路は無かったのである。そして、無い針路が曲り得るか?
次に、「
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