ヴューの半分の挺身もしなかったのだ。それは丁度君が現在「わが日本のために必要な高き演劇」を担うために、実は君の持っている全力量の七分の一か八分の一を出して苦楽座をやろうとしているのに似ている。
 それでいて「食えない」と言う。食えないのが当然なのである。君が「食えなかった新劇団」として挙げている新築地のしていたようなやり方――エセ知識階級の持っているあらゆる高慢さとルンペンの持っているあらゆる怠慢さを以て、せいぜい一年に三回か四回の公演、しかもとぎれとぎれの手段と気分を以て行われる演劇活動を以てしては一時不完全にでも食えた方が不思議なのである。「これこれでは食えない」と言いたいのならば、一事を専念に持続的にやって見た上からにしてくれるがよい。懸命にもならないで、「食えない」などとは、片腹痛い言い草である。それはまるで不良少年がホンの時々二三日ずつ、しかも道楽的な方法で正業に従事して見て、その結果「これでは食えない」と言ってその正業そのものをくさすのに等しい。勿論、僕は、他のみを批難しているのでは無い。僕自身も一時その様な不良少年であった。君も亦そうであった。君と僕との違いは、現在、僕はその様な不良少年(青年? 又は中年?)にはなりたく無いと思っているに反して、君が尚も性こりも無く不良青年でありたいと志している点だ。即ち僕が苦楽座ならびにすべての苦楽座的出発点に決定的に反対しているのに反して君は苦楽座の出発点を極力是認し、かつ、すべての苦楽座的道楽演劇を弁護することにヤッキとなっているのだ。
 全体、現在のわが日本は、非常に良い国だよ。神がかりを言っているのでは無い。又、急に「国士」にでもなった気で言っているのでは無い。又、抽象的観念的に「高級」なことを言っているのではない。誰の目にも見える即物的なありのままの事実として僕は言っているのだ。わが日本は良い国だ。見たまえ、わが国民にして極く普通の意味で忠良な人間でさえあれば、上は「演説使い」から、下はシャツのボタン穴をかがるだけの事しか出来ぬ半職人に至るまで、餓えては居ないのである。自分の仕事を、普通の意味でまじめに行っている者ならば、一人として道に餓えて倒れ死んだと言う人は居ないのだ。
 ましていわんや、「今日本が必要としている高い演劇」――言葉を代えて言えば「国家的」「良心的」演劇をやろうとする者をやである。どうして
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