だか知らんけんどよ、俺なんざ、こうやって六十八年の一生のな……そりゃ良いこともあったし悪いこともあったが、今となっては、こうして病みほうけた五体の一つのほかは、なあんにも残っちゃいねえ……そん歌聞いてると、その一生の、言うに言えない、いろんな事が、足の裏からにじみ出てくるような気がしてなあ、いろんな事を思い出すような、フフ、なつかしくって、俺あ泣けてくるだよ、うむ。
マキ そんだから、おらあイヤなんだい!
岩見 そんな事言うもんじゃねえさ。もっと、へえ、唄ってくんなよ! よ!
肥前 (そんな話はロクに聞きもしないで)フン。

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遠くで支那ソバのチャルメラの音……
大川の川端。ポンポン気船の[#「ポンポン気船の」はママ]発着所の近くで、その音が時々してくる。ダブリ、ダブリ、チャチャチャと水の音。
肥前はカゴをかつぎ、竿の先にカギのついたのを持って波打ちぎわを時々立ちどまったりして行く。そのうしろからマキが同じ姿でついて歩く。
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肥前 いつ来て見ても大川は良いなあ。
マキ だけど今日は波がまぶしいや。
肥前 しかし、そいだけ衰弱してるのに、よく歩けるなあ?
マキ フフ、なにかにけつまづいてパタンと倒れたら、そのまま息が絶えるずら。
肥前 まるで人の事のように言わ。……マキベえは近頃、俺にばっかついて来るが、なぜだ?
マキ 肥前の小父さんといっしょだとウルサイこと云わねえからさ。
肥前 するとなにか、ほかの奴あ、お前のような男の子か女の子かわからねえようなんでも変なこと言うのか?
マキ 誰があ! こんな肺病やみの、骨と皮ばかりになって、わきに寄ると臭えずら。誰がそんな事云うもんか!
肥前 すると何がうるせえんだ?
マキ もっと身体を大事にして、早く丈夫になれだの、飯どきにゃチャンチャンと物を食わなきゃならねえだの、うるせえったら。まるでへえ、御徒町の井上先生のまわし者みてえな事ばっかし云うんだ。
肥前 そりゃしかし、マキベえの事を心配して言ってくれるんだ。みんなあれで、お前の事を好きだからな、親切気で言うてった。
マキ その親切気が嫌いだよ。おらたちみてえになっちゃってから、何が親切気だ。みんなもう早く死んだ方がいいんだよ。
肥前 そいじゃ、マキベえも早く死んだ方がいいのか?
マキ ああ。
肥前 だけんど、そいつは悪い量見だぞ! 十六や七のお前みてえな小娘が、世の中をそんなにタカをくくるのは、悪い量見だぞ。
マキ あたいが悪い量見なら小父さんだって悪い量見だ。あたいが知らなくって! ショウチュウかなんか、ひっかけた時だけ、変な歌なんか唄ってるけんど、小父さんだってホントは生きてたって何になるの?
肥前 ……。そんじゃマキベえ、二人でここからドボンと飛び込んでしまおうか?
マキ でも苦しいだろ。もういっとき待ってりゃ自然に死ぬよ。
肥前 ヘヘ、そりゃそうだ。……(と言いながら波打ちぎわのアクタを竿でつつく音をボコン、ボコンカポンと言わせて)なんだこりゃ、ゴム長の片方だ。マキベえ、お前、拾いな。

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……(そして自分は流れ寄った空きカンをポコンポコンと言わせて引っかけてカゴに入れる)
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マキ おっと!(とこれもゴム長をひっかけてカゴに拾い入れて、又歩きだす)
肥前 マキベえ、お前、ひるは何か食ったかよ?
マキ ううん。
肥前 やっぱし食いたかねえのか?
まき 食いたくねえよ。
肥前 俺あ、ここで休んで少し食って行くが、俺がそう云っても食うのはイヤか?
マキ なんだよ?
肥前 コッペパンだ。(紙の音をさせて、ふところからパンを二つ出して、その一つをマキに渡す)俺が食いなと云ってもイヤかよ?
マキ 小父さんが食えと言やあ食うよ! なんだい!(と腹を立てている)
肥前 フフ……じゃ食えよ。

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……波打ぎわに自然に腰をおろした二人がパンをかじりはじめる。ポンポン蒸気が大川を斜めに横切って来る音。それの立てる波がザザザジャブンジャブンと寄せる音。
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肥前 (パンをかみながら)……うむ、そりゃ七つや八つの子が、いきなり空襲で二親から兄弟一人残らず取られっちまやあ、そういう気にならねえとは限らねえとも言えら――
マキ ううん、ちがうよ。そんな事のためじゃ無いよ。だってあたい、あの時分は、お父っあんやお母さんや、みいんな一度にいなくなっても、それほど悲しくはなかったもん。そんな事より、買ったばかりの学校の本がカバンごと焼けちゃって、そのまんまの恰好したままキレーに灰になったのを見た時の方が、よっぽど悲しかったな。
肥前 だけどさ、空襲で家族をゴッソリ持ってかれたのは、なにもお前一人たあ限らねえ。それがお前だけ
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