が、こんなふうになっちまうのがよ、どう言うだか――
マキ うん、そりゃ、あたいにもわかんない。生れつき、そういう性分だったかもわかんないし……あれから、あたい、叔母さんちだの、伯父さんちだの、それからあっちこっちの保育園だとか収容所に行ったり、いろんな目にあった。みんな、よくしてくれた。すぐに着物をくれたり、オモチャをくれたり、食べ物くれたりするんだ。そんな着物を着さされて、そんなオモチャを抱かされて、新聞やなんかの写真をウンととられたよ。そういう時は、あたいたちは笑わなきゃならないんだ。……そいで、あたいの事を、マキとして、山の内マキと云う名を持った子供として可愛がってくれた人は一人もいやあしなかった。どこまで行っても、戦災児だ。戦災児だから、かわいそうだから、かわいそうと思わなきやならんから、かわいそうがってくれるだけだ。……いっそ、着る物や食う物なんか、どうでもよいから、いえ、言うこと聞かない時あ張り倒したっていいから、山の内マキを叩きなぐってくれる人がいてくれたら、その方がよかったかもしんない。
肥前 ……そうかなあ。そんな事もあるもんかな。俺にゃよくわからねえ。
マキ そうなんだよ。……いえさ、そうだからって、別に腹あ立てるこたあないけんどよ、ただ、それに気がついたら、あたい、なにもかもどうでもよくなったんだ。それに病気だろ。
肥前 ……まったく人間、いろいろだなあ。頭が違うように性質が違っていてよ……そいで、うまく行かねえと、みんな町ん中にもぐり込んで来て、変なふうにかたまったみたいになってよ……そいで、しまいにや申し合せたみてえに、生きたってしょうが無えと云う気がする事だけはハンコで押したように同じで、そいでもひと思いに死ねもしねえでヒクヒクと、ヘヘ、こうして川っぷちなどにやって来ちゃ、腰いかけてパンをかじったり……
マキ 小父さんのホントの名は、山形五郎というんだって?
肥前 うん? うむ。……山形の五郎か。久しい話だ、もうあれから二十年の上もたった。フフフ、九州は肥前佐賀、やっぱしこんな風な大川が流れててな、江湖《エコ》々々ちったっけ。いや、これほどデケエ川じゃなかったけどよ。そこい、大分県の山奥から流れて来た筏がチョイチョイ着いて、そいつが年中、つないであった。……仲さん、か。どうしたかな? 俺をつれちゃ、柳町と言うとこへ遊びに行った。うむ。……
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