のしようもありません。あの後、よつぽど、おわびに伺おうかと思いましたが、どうしてもあがれませんでした。どうかお許しください。
 あの晩荻窪に押しかけて來たのは、國友の子分たちです。後でわかつた事なんですが、國友さんはあなたから話が有つたためか、國友さん自身の何かの氣持のためか、その前から、身内の連中に、僕を追いかけまわすのはよせと言つて止めていたそうで、あの晩のことも國友さんは全然知らないことだつたそうです。
 いつか久保から聞いたのによると、あなたは染子というダンサーに僕らの防空壕で一度會われたそうですが、あの女がどう言うわけか僕をうらんでいまして、あの晩のこともあの女が二三日前から向うの連中を手引き――と言うほどでは無いでしようが、とにかく連絡したようです。國友の子分の一人で染子の行つているホールによく行く男が居りまして、それが以前から僕と染子の關係を知つていたのです。
 僕はあの晩、肩先に貫通銃創を受け、腿をナイフでやられました。貫通銃創の方は、なんのことはありませんでした。もう、完全に治つてしまいました。腿のキズも大した事はないのですが、筋肉が切れていたそうで、手當をしてからも、しばらくの間は歩くことが出來ず、現在でも時々うずき出すことがあります。杉田も二カ所ばかり傷を受けていました。しかし、これも大したことはありませんでした。杉田と私は、あれからしばらくの間、ある醫院に入院していました。
 あの晩、久保に刺された向うの男は(そのことは、後ですぐ聞いたのです。黒田自身がしらべて來て教えてくれました)あの後どうなつたか、わかりません。案外大した事は無かつたかも知れませんし、或いは死んだかも知れません。萬一死んだとしても[#「死んだとしても」は底本では「死んだとしたも」]、多分、外部には全然知れないでしよう。あの連中はそうなのです。
 しかしどちらにしろ、久保もバカなことをしたものです。久保は僕を傷つけた奴を許しておけなかつたのです。僕は戰爭中、オキナワで死にかけている久保を助けてやつたことがあります。それを久保は忘れないでいるのです。バカな奴です。しかし僕のためで無くても、久保と言う男は、いつたんそうしようと決心すれば、人の一人や二人はすまして殺す男です。彼奴は僕の知つている人間の中で一番恐ろしい、強い人間です。だからバカな人間だと言えます。久保はあの時、僕のために復讐をする氣だつたのです。ところが、あの晩、杉田のあとから壕の外へ出て行つた僕の氣持は、實は國友の連中から殺されてもよい氣持でした。生きているのが、すこしめんどうくさくなつていたのです。
 いや、そう言つてしまうと、すこしウソになります。そうではありませんでした。生きているのがイヤになつていたのは、あのしばらく以前までの事で、――その事で書きます。――特にあの晩は不意にあなたが來て下さるし、みんなで酒を飮んだりしているうちに、僕は非常にうれしい氣持になつていて、とても幸福でした。戰爭後、はじめてスナオな自分に立ち歸れたような心もちでした。そして久しく考えていた私の本心を今夜こそあなたに打ち明けてあなたの御意見を聞き、又それについていろいろ教えてもらいたいという氣になつていたのです。しかし杉田や久保がそばにいますし、久保はまあかまいませんけれど、杉田にはどうしても聞かせたくない話なので(――いえ杉田は實に良い男で私の好きな奴です。しかしキッスイのヤクザで僕などとはまるでちがつた世界に生きている人間なのです)もうしばらくもうしばらくと思つているうちに、あんな事が起きてしまつたのでした。つまり言つて見れば、生きているのが張り合いがあるようになるかも知れないと言う氣が微かにした、はじめての晩に、僕は死ななければならぬかも知れなくなつていたのです。實に皮肉な、妙な氣持がしました。しかし、すぐに諦めがつきました。おれと言う人間は、いつでもこうなのだ。いつでも、事がチョット明るく、うまく行きそうになると、トタンに根こそぎ叩きこわされる運命になつているのだ。いいじやないか。生きていたつて、どうせ今俺の考えていることなど、まるで夢のような事かもわからないのだ。死ぬのもサッパリしていいだろう。……そう思つたのです。そして壕を出て行つたのです。
 しかし、つい、死ねませんでした。こうして生きて、温泉につかつたりしています。僕は今H――温泉に來ているのです。
 黒田策太郎は前から僕に言つていたのですが、荻窪で襲撃された後で、どうしても半年ばかり身をかくしてくれと言つて、かなりの金を僕にくれました。このままでいれば殺されるかも知れないからと僕の身を考えてくれたためもありますが、同時に、僕があのままで居ると、自分の組と國友の方との關係が益々もつれて惡化する恐れがあつたからです。黒田はそれ
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