と、グッと拔いた。ベトリと血。懷中電燈の光の中で、それが黒――いや、濃い紫色に見えたのである。
「誰だよ、貴島をやつたのは?」
久保が圓陣に向つて言いかけた。しばらく答えが無かつたが、やがて圓陣の一人が
「ふん!」と低く言つた。
その方を、すかすようにして久保は立つていたが、フッとそれに向つて歩き出した。ナイフを逆手に持つている。急ぎはしなかつた。例のヒョコヒョコした歩きつきで、いつの間にはいていたのか、いつもの板裏ぞうりをペタペタ鳴らしながらである。電燈の光の逆光の中でズングリした姿がグラグラして大きく見えた。私はほとんど無感覺になつていて、ボンヤリ突つ立つたまま、それを見送つていたが、その時の久保の後姿を、私はいつまでも忘れないだろう。
「なんだ?……」と言う聲が圓陣の中からした。久保が自分たちの方へ近づいて來るのが、どんな意味だかわからないらしかつた。私にしてもそれがわかつていたとは言えない。直ぐに、その方で、ノコノコと一人の男のそばまで行つた久保が、右手をスッと横に拂うようにした。同時に、「アフン」と響く鼻聲が聞えた。グラグラと圓陣が搖れ動き、電燈の光がグルッと※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて、自分たちの足元を照らした。
そこに一人の男が倒れていた。白いシャツの胸の、まん中近く、海軍ナイフが突きささつて、見る見る血がシャツの上に擴がつて來る。すぐ前に久保が立つてそれを見おろしていた。たつた今人を刺した人の姿では無い。ポカンとしてただ見物しているように、全然、氣の無い姿だつた。何か妙な錯覺のようなものが私に來た。その次に、その冷然とした久保のうしろ姿に、ホントに恐ろしいものを見たような氣がした。それは、私だけでは無かつたらしい。襲つて來た四五人の男たちも一瞬氣を呑まれたらしく、十秒ばかりの間、身動きする者も無く、もちろん聲は立てず、シンとして手負いの男と久保を見守つて立つていた。あたり一面、しんの闇の燒跡の原に石のような靜けさが落ちて來た。
しかし次ぎの瞬間に久保一人を取りかこんで、どんな光景が展開するかが、電氣のように私の頭にきらめいた。私は、本能的に前に進み久保に近づいて行つた。
その時、妙な事が起きた。
ダダダと坂道を驅けおりて、一人の男が、襲つて來た男たちの背後へ近づき、低い早口で何か言つた。「フケろ!」と言う言葉だけが聞きとれた。後になつて考えると、これは、襲つて來た連中が前もつて坂の上あたりに見張りに立たせていたものらしく、それが、誰か人が來たか(――もしかすると巡囘の警官だつたか)何かで、それにこの場の事件を知られてはまずいと言うので知らせに驅けつけたものらしい。たちまち、電燈が消え、人と人の間に、短かい符ちようのような言葉が投げかわされ、刺されて倒れている男を一同でサッとかつぎあげるや、ザザッと風のように走り出し、闇の中に散つて行つた。
電燈が消えた直後の、目つぶしを食つたような暗さの中だし、一つ一つがそれとハッキリ見えたわけでは無い。しかも、その迅速さが普通のものでは無い。ほとんどアッと言う間も無い出來ごとであつた。こんな事に馴れ來つた者たちの行動である。
書けばこれだけの長さになるが、前にも言つたように全體がホンの數分の出來ごとだつた。映畫のカットバックでも見さされたように、びつくりしたり恐怖を感じたりしている暇も無かつたのである。わきを見ると久保もボンヤリと立つている。暗いので表情は見えないが、ダランと兩手を垂れた氣配に、かくべつ昂奮しているようなものは無かつた。……フッと貴島と杉田の事を思い出し、防空壕の方へ戻つて行つた。久保も私の後ろからついて來た。
貴島と杉田も、居なくなつていた。壕の中かと思つて、のぞいて見たが、ロウソクの灯が誰も居ない壕の内側をボンヤリと照し出していた。そのロウソクを取り、壕の周圍をしらべまわつたが、やつぱり見えない。
「……どうしたんだろう?」
「そうですね……」
ユックリ言いながら、久保は、先きほど貴島と杉田が倒れていた個所へしやがみこんで、そこの草を右手で撫でていた。その右手――まるで野球のミットのような感じのする、いつか私の見さされた、熔鐡の飛びついた跡がボツボツとえぐれている手いちめんが、ヌラリと血だつた。先程、男を刺した時に附いた血か、そこの草に附いていた血か、多分兩方だつたろう。やがて彼は、わきの、血に濡れていない草の葉をひとつかみ、むしり取つて、手の血を拭きはじめた。その手つきや、全體の態度が、いつか見た炊事をしている時と全く變らない。ユックリと落着いたものだつた。顏もいつもの顏だし、眠いような目だつた。考えて見ると、貴島を傷けた者を刺して、言わば貴島のために報復したわけだが、そのことからの昂奮はもちろん、喜こびのようなもの
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