いのです。そうです、あなたが良いのです。ピッタリするのです。好きと言うよりも、良いと言う方が近いです。
 ですから、僕はあなたからMさんの事について教えていただきたい事があるだけで無く、この僕の事をわかつていただきたい氣がするのです。そうです、こんな手紙を書く僕の氣持は主にそのためです。

 又居る場所を變えました。前に居た室から四五町しか離れていない、ゴタゴタしたマアケット街の奧の、電車のガードの下の家です。食べる物やタバコは、黒田の家の者が一日に二度はこんでくれるので不自由はしません。
 今度の室は、中華料理のヘットの匂いがします。そのため時々頭痛がして、食慾がまるで起きません。――
 前の續きを書きます。と言つても、前にどんな事を書いたか、忘れた所もありますが、讀み返して見る氣になりませんので、かまわず、アレコレと書きます。
 この前、東京のRの事務所でお目にかかつた時に氣附いたのですが、それまで僕は僕のことをMさんが生前にあなたに對して話しておいて下さつたものだとばかり思つていたのが、實はMさんは、なんにも僕の事をあなたに話されたことが無いと言うことです。それに氣附きました。いかにもMさんらしいと、おかしくなります。ですから、僕がイキナリ訪ねて行つたりして、あなたはサゾびつくりなすつたでしよう。サゾ、きちがいじみた奴が現われたと思われたでしよう。すまないと思います。僕は實は甚だ平々凡々の人間なのです。その點おかしくてなりません。
 それで僕は自分の自己紹介をします。僕がどんな人間であるか、僕のこれまでのケイレキみたいなものを、ごく簡單に述べます。それには先ず、どうしても僕の父親の事を書かなくてはなりません。父が無くては僕という人間は生れて來ていないのですから。いえ、それは生物學的に親が子を生んだと言う事だけではありません。父という者が居て、僕を育て上げてくれなかつたとしたら、僕という人間はこんなような人間にはなつていなかつたろうと言う意味なんです。誤解しないで下さい。僕は現在の自分を三文の價値もない人間だと思つています。ホントです。蟲ケラみたいに、生きているから生きているだけです。しかし、僕は僕をこんなふうに育て上げてくれた父を尊敬しています。なつかしいと思います。
 たしかにムジュンしています。それは知つています。でも、そうなんです。それで父の事から書きます。
 しかし、その前に、チョット、綿貫ルリさんの事を書いて置きます。この前佐々が此處に來た時に、あなたが、しきりと「貴島君はルリに一體どんな事をしたんだろう?」と氣になすつていたと言いました。それなのです。あの晩のことをチョット話して置く必要があると思うのです。

        19[#「19」は縦中横]

「と言つても、實に簡單な話なんです。あの日、あなたの所でルリさんに初めて會つた時は、ただ勇敢な女の人だと思つただけで、特別な氣持は起きませんでした。普通の若い娘としては、かなり變つた所がありますが、しかし、變つた女なら、ほかに僕はいくらでも知つているのです。ですから、かくべつ、親しくなりたいなどとは思わず、あなたがたの會話を傍聽していました。
 僕が不意にあの人に引きつけられるような心持になつたのは、あなたが食事をしに中座されてからです。と言つても、あの人と僕との間に特別の話が出たりしたわけではありません。それまでの話題であつたR劇團のことなどを話しただけです。あの人はR劇團の男の連中のダラシなさの事を手を振つたりして話しながら、僕の方にだんだん寄つて來るのです。夢中になつて、横の方から僕の肩を押すようにして身體を寄せて來ました。見ると小鼻や口のわきに細かい汗のブツブツを浮かせています。
 僕は壓倒されるような氣がしました。なにか、いじめられているような氣がしました。すこし息苦しくセツないような感じでした。後から思うと、その時に、僕はルリさんに、引きつけられてしまつたらしいのです。しかしその時にはあの人からいじめられているよう氣がしたのです。僕は、小學校の二年か三年の時分、遠い親戚の節ちやんという、僕と同じ年の美しい女の子から、誰も居ない應接室のソファの所でおさえつけられて泣いたことがありますが――僕はそのころ弱蟲の少年で、節ちやんと言うのは、僕より力の強い、オキャンな子でした。――その時の事を僕は思い出しました。
 そのうちにルリさんは僕の困つているのに氣がついて、自分でもビックリしたようで、暫く默つて僕を見詰めていましたが、やがて笑い出しました。僕も笑いました。それから間も無く、あなたが戻つて來たのです。
 あとの事は、あなたも御存知の通りです。そしてルリさんも僕も歸ることになり、あなたからルリさんを送つて行つてあげたらと言われ、僕は、うれしい氣持がしま
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