、決して一言も言わないことも知つていた。だから、問うのをあきらめた。そして互いに現住所の所書きを交換し、再會を約して外に出た。街には既に夕闇がおりて來ていた。
そこで別れて歸つていれば、よかつたのである。そうすればあんな事は起きていなかつただろう。
ところが、國友に「すぐに歸る三好さん?」と問われ、そうだ、念のためもう一度D商事を覗いて行こうと言う氣になつて、そう答えると、「そいじや、私も寄つてみるか」と言うので、さつきの道を逆に、夕闇を吹く微風に醉つた顏をなぶらせながらブラブラと二人はそのビルディングへ引き返して行つたのである。
8
しかし、やはり、D商事には、まだ誰も戻つて來ていなかつた。開かないドアの内部には灯かげも無く、シンとしている。或いは、前に私たちが訪れた時が既に今日の業務を了えて人が去つた後だつたかとも思われる。しかたなく、私と國友は暗い廊下を外へ出た。振返つて見ると、その建物がボンヤリと白く盲いたように、明るい窓は一つも無かつた。しばらく行き、間もなく國友と別れたが、すぐ私は小便がしたくなつて道から三四歩、燒跡に踏みこんだ。國友の歩み去つて行く靴音が、しばらく聞えていた。まだホンの宵の口なのに、離れた繁華街のあたりから物音が響いて來るだけで、この近まわりは靜まりかえつている。その中に、國友の歩み去つて行つた方角から、低い話し聲がして來た。何を言つているかわからないが、二人の聲で、一方は國友らしい。知つた人にでも逢つたのかと思いながら用をすまし、私は歩き出したのだが、直ぐの小さい四つ角の所に、國友は背を向けて立ちどまつて前に立つた人影と話していた。
「じや、あのシマの事あ、君んとこのオヤジさんも知つてんだね……」あとは聞きとれない。相手も何か言つたが、「……ですよ」という語尾だけしか聞えなかつた。兩方ともおだやかな言葉の調子である。私は、追い拔いて行くのも具合が惡く、自然に國友から五六歩の背後の電柱のかげに立ちどまるような形になつた。相手の男は、國友に對して、こちら向きに立つているため、國友の影に重なつて、よく見えない。その時、その人影がスット片手を國友の肩にかけるようなことをした。國友が「ア!」と低く口の中で言つたようだ。そのまま相對したまま二人は、しばらく動かない。
「……失敬しました」相手が低く言つて、ポケットから、ハ
前へ
次へ
全194ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング