入口が有るので入つて行くと、ガランとした室の、窓の部分が壁ごとゴボッと大穴が開いていて、いきなり青空が見え、風が吹きこんで來たりした。しかたが無いので、もとのドアの前にもどり、そのわきに積んである大きな木箱に腰をおろして待つことにした。……建物中がシーンとしている。ずいぶん永いこと、そうして待つていた。吸い過ぎたタバコのヤニで、口の中がスッカリにがくなつてしまつた。あきらめて、今日はもう歸ろうかと思いはじめた所へ、階下からコツコツと足音があがつて來て、階段口に背廣姿の男が現われ、スタスタとこつちに近づいて來た。その頃の東京では珍らしい位に高級なリュウとしたなりをして、革のカバンをさげている。四十四五歳。上品な形の口ひげとあごひげを生やしている。ジロリと私に一べつをくれてから、D―商事會社のドアを二つ三つノックした。
「そこは今、誰も居ないらしいですよ」と私は聲をかけた。「私も實は、訪ねて來たんだが――」
「やあ、そうですか――」
男は微笑しながち振り返つた。その瞬間に、兩方で同時に相手を認めた。
「おお三好さんじやありませんか!」
「ああ、國友さん!」
以前から笑顏のきれいな男で、ふだんの顏つきが、少しいかついだけに、ニッコリすると、まるで面《めん》を取りはらつたように、邪氣の無い顏になる。その顏でいつぺんに思い出したのだつた。十年ばかり前、或る事から懇意になり、一年間ばかり、かなり親しく附き合つていた國友大助だつた。もと、サーカスのアクロバットの藝人、その後、柔道家になり、拳鬪選手もやつたことがあると言つていたが、私と附き合つていた頃は、バクチを打つて歩いているようだつた。ひどく快活な近代的な博徒で、何かと言えばその笑顏で「いや、僕は忍術の修行をやつてる人間でしてね」と言つていた。なんでも、仲間のもめ事で、大がかりな殺傷事件をひき起し、それを最後にしてフッツリと姿をかくしてしまい、以來十年ばかり私はこの男を見なかつた。
7
「變つた。――スッカリ見ちがえて――それに、立派なやつが生えちまつた」私はヒゲの恰好をして見せた。
「ハハハ、どうも、いけません。こういうものをなにして歩くようになつたら、おしまいです。だけど三好の旦那も、お變りんなつた。第一、ひどくやせたじやないですか?」
「いや、病氣をしたり、それに」と私は盃を口へ持つて行く眞似をし
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