。いくらで住替へる事になつてゐるんです?
香代 (出しぬけに神経的に笑ひ出す)へつ! ハハハ、何をまた! それを聞いて何にするんだ? ヘツ! お前なんかの出る幕ぢや無いよ! 寝呆けたのか! 私の身の代金がいくらだらうとそれがお前さんにどうしたつて言ふんだい! 馬鹿にしちやいけないよ、ハハハ、何を――。
留吉 (ベラベラと気が狂つたやうに喋りながら顔を突出して来る香代の顔を、黙つて張り飛ばす。続けて三つばかり。ヨロヨロとなる香代)……馬鹿! (キヨトンとしてしまふ香代。呆然と立つてゐる)
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(間――遠くを列車の響)
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磯 ど、どうしたんだよ?
留吉 いくらだと聞いてゐるんですよ。
磯 そりや、先方から受取つた金は、まだ三百ばかりだけど、さうさね、内のと近藤さんからの借金など全部合せて丁度七百円――。
留吉 此処に五百円あるんだ。(出して上り端に置く)これで、お願ひだが、住替へ一件の証文は巻いていただけねえだらうか? あとの二百円は、俺あ、キツト此処で稼いで、毎月いくらかづゝでも入れて、なすから――。
磯 ……えゝ、そりやねえ、なんですけど――なんしろあんまり藪から棒で――。
志水 それぢや、留公、君あお香代ちやんと――?
留吉 お香代の子供を引取つて、三人で家を持たうと思ふ。此の町に住着かうと考へてゐるんだ。
より まあ! まあ! 香代ちやん、香代ちやん! (感動して香代にかじり付く。しかし香代は呆然として留吉を見守つてゐるばかり)
志水 さうか! ……だけど、君も変つたなあ?
留吉 ホントにきまりが悪い。いろいろ眼に余る事も有つたらうが、以前の事あ、かんべんしてくれ。あいでも、俺あ嘘や冗談でしてゐた事ぢやない。夢を見てゐたんだ。……物事のけじめも、人の心持もわからなかつた。なさけ無い話さ。……しかし、これから俺、此処で地道に働いて行かうと思つてるから、よろしく一つ頼む。
磯 まあ、ねえ!
志水 頼むも頼まねえも、君あ何も言はずに国へ行つたんで会社の方へもあのまゝになつてゐるんだから、今日からだつて行けるさ。
留吉 さうかい、ありがてえ。んで、いつか言つてた話なあ、例の島田君の一件がキツカケで皆でゴタゴタもんでゐた事さ、あれは――?
志水 まだ行き悩んでゐるよ。会社でも幾分折れては来て呉れてゐるが、なんしろ、事が単にバイ償金だけの問題では無くなつて、臨時工全体の待遇のことで一つ一つ細かい個条の交渉に、入つて来てゐるからね。先き行き風向き如何で、うまく行けばうまく行くし、又、全部がドンデン返しにひつくり返されるかもわからないんだ。いづれにしたつて俺達の方でシツカリしてゐるかどうかで、成り行きも決る。
留吉 それに、俺も、君達の仲間入りをさせてくれないか?
志水 え! ホントかい?
留吉 いや俺あ、なんにも解らねえ人間だし、なんにも別に出来やしない。ホンの仲間の端つこに入れてくれよ。そいだけでいいんだ。
志水 いいとも! 皆に異存の有らう筈が無い! しかし変つたなあ!
留吉 変つた変つたと、さう言ふなよ。いや、俺も、もうボヤボヤはして居れねえ。此処に住着いて、女房子供を抱へて暮すとなりや……。
磯 よかつたねえ! よかつたねえ、香代ちやん!
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(不意に堰を切つたやうにワーツと泣き出す香代。……その尾に附いて、より子も泣き出す……間)
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留吉 なあんだい? ……よろしく頼むよ、志水さん。
志水 いいさ。仲良くやらう。
留吉 あゝ俺あ馬鹿に腹が空いちまつたがなあ。今朝つから何も喰はずだから。なんか拵へてくれよ。
より あいよ。(涙を横なぐりに拭きながら)なんにしよう? 御飯? 鮭のうまいのがあるよ。
留吉 さうだなあ、俺あ、やつぱりうどんがいい。うどんにしてくれ。
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(やがて、志水とより子が、急におかしくなつて笑ひ出す。磯も笑ふ。好意に満ちた明るい笑声である。留吉も釣込まれて笑ふ)
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より あいよ。
香代 よりちやん、私にやらしておくれ。
より いいよ、あんたは其処においでよ。
香代 いえ、私がやる……(と、より子より先に調理場へ行かうとするが、大酔とシヨツクの後なので腰の辺が変になつて、一二歩オコツイて、土間に膝を突いてしまふ。しかし、ムキになつてより子を押しのけるやうにする)私がやると言つたら! (その涙でベトベトの顔が少し真剣でありすぎる)
磯 なんだよ、まあ!
留吉 大げさな、たかが、うどんを煮るのに、なんだ?
志水 アツハハハ、アツハハハハ! アツハハハハ、ハハハ。
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(磯もより子も留吉も釣込まれて笑ふ。香代だけが、ムキな顔付で、しかし、すなほに調理場の方へ)
(笑声。
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