、利助に使つて貰へ。二千円ばかりある。
雪 んでも、兄さん田地買戻すんぢや無えの?
留吉 こんな風になつちまつた所で、今更タンボやつて見たつて、なんになるものか。
雪 でもさ、そんなに苦労して溜めたものを――。
留吉 いいよ。いつそ俺あ嬉しいんだ。(利助に)だがなあ、製板所の事あ、カンシヤクを起さねえで、しつかりやつてくれ。村の人達が安心して働いて行けるやうにな。
利助 済まねえ! 必ず、やるとも! ぢや此の中から千円だけ貸して貰ふ。ありがてえ! 俺あ――。
轟 利助君よ、よかつた! おめでたう!
津村 留吉君、斉藤さんの方は、どうするかねえ?
留吉 五年間の夢だ。馬鹿々々しい。ハハハハ、夢を見てゐたんだ。せつかくだが、もう止した。どんなに綺麗でも、夢は夢だ。ハハハ。
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(製板所の方から、器械鋸の音が響いて来る。
――幕。
鋸の音は残る。やがて、その音にダブつて列車の響。それが永い事続いてゐて、フト止んで――)
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[#5字下げ]5 蔦屋[#「5 蔦屋」は中見出し]
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晴れた日の午前十一時頃。例の通り黒々と煤け返つた店内ながら、掃除をした後と見えて万事が整頓されてゐる。
畳敷の上り端にポツンと置いてある柳製のカバンの真白さ。傍に赤いフロシキ包みが一つ。ズツと離れて長食卓の一番前寄りに掛けて頬杖を突いて此方を見てゐるお香代。これから他行《よそゆき》するらしく髪も結ひ、割にキチンとした装である。酒を飲んだと見えて空のコツプが肱の前にある。
遠く炭坑町らしい物音。
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磯の声 (奥の部屋から)お香代ちやん! 棒縞のメリンスの単衣は、もうカバンに詰めたつけねえ? (タンスを動かしてゐる音)……いくら捜しても此処にや入つてゐないよ。もう詰めたの、ねえお香代ちやん! ……(言ひながら奥から出て来る。手に二三の帯や衣類を抱へてゐる。店内を見るがお香代が動かないので眼に入らず)あら、どつか行つたんだね……いいや、私が入れといてあげる。……(独言しながらカバンを開ける)
香代 ……(忘れた頃になつて)え? なんですの?
磯 なんだ、居るぢやないの。いえね、メリンスで棒縞のが有つたろ?
香代 あれは島田さんとこのお婆さんにやつてしまひましたよ、ズーツとせん。
磯 まあ、もつたい無い事するねえ! あれでも置いときや未だ結構一夏位着れるのにさ。ま、いいや。……あの、そいからね、これは私の使ひ古しでなんだけれど、締めておくれ。地味であんたにや少し可哀さうだが、物はこれでも博多なんだから。
香代 ありがたう。……そんな事、なさらなくてもいいんです。
磯 いえね、お前が今度の住替へで色々と無理をしてゐる心持あ、私にも解るつもりだよ。別に大したお世話をしてあげた訳でも無いのに、私の事を考へてくれるお前の志しを思へば、何とかもう少し恰好を附けてあげなきや済まないんだけど――。
香代 ……そんな事、ありませんよ。
磯 女世帯を張つてかうしてゐると、人の知らない苦労があるもんでね……近藤さんとの事にしたつて、私が好きこのんでの話ぢや無いものね。女なんて、一人でおつぽり出されりや、弱いもんさ。どうかね、私がお前の事を、そねんだり、……なんかしてこんな目に会はせるとだけは思つておくれで無いよ。
香代 とんでも無い、お宅からの前借は未だソツクリ残つてゐますし……それに近藤さんに金を借りたりしたんですから、私が悪いんですよ。自分で望んで他所へ行くんですから、おかみさんが気の毒がつて下さる事はありません。
磯 さう思つてくれりや、私はありがたいよ。そいで残金の百七十円は、先方へ行つて鑑札が下りれば、お前にぢかに渡してくれる話になつてんだからね。……これからお前も大変だ。港町と言やあまた此処いらとは一倍人気も荒いだらうし、お客も性の知れない人が多い。身体だけは大事にしておくれよ。(泣いてゐる)
香代 ……(これは泣くなどと言ふ気持はとうに通り過ぎてしまつてゐる)おかみさんもお大事に。
磯 そいで三吉ちやんの方は、どうして来たの?
香代 昨日いたゞいた金をソツクリ置いて来ましたから、半年一年うつちやつといても育てて呉れるでせう。先方でも割に可愛がつてくれますしね。私の身の上にもしもの事が有つたら、うちの子にしてもよいと言つてゐるんです。ハハ。
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(表からより子が、買つたばかりの安物の小さいバスケツトを下げて戻つて来る)
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より たゞ今。栄町迄行つて、やつと有つた。眼が飛出るぢやないの、これで二円五十銭ですつてさ!
磯 しかし、こりやなかなか良い品ぢやないか。
より 二円にまけろと、いくら掛合つても、まけやしない。
磯 お前、香代ちやんに
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