(言ひながら顔を拭き拭き入つて来る)久しぶりに見ると、又一倍綺麗だ、まるで夢でも見てるやうだよ。ハハハハ。(妹の下げた徳利に眼を付けて)酒を買ひに行くのか?
雪 うん。……(少しウロウロする)
留吉 (その様子を見、次に利助の方に眼をやつてから、ガマ口を出して、金を妹に握らせる。背中の児を覗いて)よく眠つてゐらあ。早く行つて来いよ。
利助 ……あんたなぞから酒代を恵んで貰ふ事あ無い。お雪そんな金使ふと承知しねえぞ!
留吉 いや、俺も飲みたいから、さう言はずにさ。実あ、あれだけ好きだつた酒を、五年の間プツツリと断つてゐてねえ……(お雪に早く行けと眼顔で知らせる。コソコソ出て行くお雪)味も忘れたが、此処へ戻つて来るとやつぱり思ひ出すよ。アハハ。(炉の方へ来て)……利助さん、まだシミジミ礼も言つて無い。どうも色々とありがたう。面目無いが、妹が君の世話になつてかうして仕合せに子供まで出来て暮してゐようたあ、戻つて来るまで、まるつきり知らなかつた。まだ、あの料理屋に居るとばかり思つてゐた。済まない。俺あどんなに嬉しいかわからないんだ。
利助 いやあ……。
留吉 お雪が拵へて呉れた金でね、大阪へ出てバタバタやつて見た。今から考へて見ると、あんなに荒い町で三百そこいらの金を持つて何が仕出来せるものか、二月たゝない間に一文無しにすつてしまつてね、……一時は死んじまはうと思つて、鉄道線路を枕にして寝た事も何度かあつた。……しかし国の事を考へると、どうしても死ねないんだ。それからは、もう無我夢中さ。中国から四国、九州と渡り歩いて、彼方に三月、此方に半年と、少しでも余計に金になる事なら、人の嫌がる仕事ばかりやつて来た。汚ない事もしたよ。まるで、まあ餓鬼だ。……他人にも随分憎まれた。……然し、うぬが身体一つが元手の人間、少しまとまつた金を拵へようとすれば、さうするより他に法は無え。世間と言ふものは、さうした物なんだ。……然しまあ、かうして戻つて来れば、これからは万事うまく行くよ。来る早々津村先生に頼んで田地の買戻しは直ぐに片附くことになつてゐるから、さうなれば、俺と君達夫婦と三人でタンボをやつて行きあ、まあなんとか――。
利助 しかし、俺あ百姓は嫌ひだから……。
留吉 ……。そう言つたもんぢや無ないよ。人間の食べるもんを作るんだからなあ。第一、青天井の下で働くなあ気持がいいよ。君だつて俺だつてお互ひに十八九の時分は、あんなに喜こんでタンボ仕事をしてゐたぢや無いか。俺達あ、やつぱり百姓の子だよ。
利助 あの頃と今は違ふ。あの頃は農業一方で食へたのが、今あ食へなくなつて来てゐる。田地の五町も十町も持つてそいつを小作に出してやつてゐる家はとにかく、現に、三段や、五段の田地持ちで、タンボ専門で食つてゐる家なんぞ、此の村にや一軒も無くなつてゐるからな。有れば、そいつは借金で持つてゐる家だ。
留吉 だつて、金は残せないにしても、自分で食ふものを自分で作つて行く分にや、これ程強い稼業は無い筈だよ。さうだらう?
利助 あんたあ、なんか、夢を見てるんだ。
留吉 夢? ……(ムカツと来るが、わざと笑ひにまぎらす)ハハハ、いや、夢と言やあ、五年の間、俺が夢を見りや、たつた一つしきや無かつた。親父の残してくれた例の、今、斉藤へ行つてゐる二段田さ、あれ一面に菜種の花の花ざかりの景色さ。そいつを春先きの陽がカーツと照して明るい事と言つたら――菜種の匂ひまで嗅いだ様な気がしたもんだ。ハハハ、夢まで百姓らしい夢を見る。ハハ!
利助 ……だが、俺あ、まつぴらだな。
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(気まづい間)
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留吉 (あくまで下手《したて》に、話題を変へる)なにかね、なんか製材所とかの事で、今ゴタゴタしてゐる――?
利助 いやあ――此処ぢや製板と言つてるけどね。……なあに、別に……。(お前なんぞに話したつて仕方が無いと言つたムツとした調子である。取り附く島が無い。)……何をしてゐやがるんだ、遅いなあ。
留吉 ……お雪の事あ、今後とも、一つよろしく頼むぜ、なあ。なあ、利助さん。
利助 チエ! (舌打ちをして土間を降りる)
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(表からセカセカと入つて来る轟伍策)
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利助 おゝ、轟さん、遅いぢやないか!
轟 だつて先刻も一度来たんだぜ。
利助 今頃になつて、変に気を持たせるのは止して下せえよ。
轟 おかしな事は言ひつこ無しにしようよ。倉川の方が、もうこれ以上待つのはいやだと急に言ひ出したんで、私あ君の頼みもありさ、大急ぎでやつて来たら、君あどつかへ行つて居ない、大概ヂリヂリしたんだよ。
利助 え? もう待てねえつて? そいつは約束が違ふぢやないか!
轟 違つても仕方が無い、さう言つてるんだから。倉川にあいだけの資本を握つて
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