(その間も叩きは続いている)
鳥追 (時々たまらなくなって、三味線を抱えた手で眼を蔽うたりしながらも、恐い物見たさで見下ろしながら)あっ! あれっ! おや、どうしたんだろ?
馬方 気い取失うたのよ。ああして水ぶっかけて正気に戻してからまたやるんだて。
鳥追 まあね、ああまでしなくたって!
段六 さ、行くべ、仙太!
仙太 段六、見てくれろ、……兄貴《あにき》はまだ生きてるか?
段六 そりば言うな! おらだとて見れるもんでねえ。むげえこんだ。……おらもう百姓いやんなった。
仙太 ううっ! ……だとて、だとてよ、百姓やめて何が出来っけ……おら今日と言う今日は、今日と言う今日……そりゃな段六、通りがかりの他所の衆や、町の商人や、ええ衆|等《ら》がこの願書さ名前書いてくれねえのは、まだ仕方ねえ……。見ろい、同じ土地の近くの同じ百姓同士が、これほど頼んでも書いてくれようというもの一人もいねえのは何だ? え、段六公、同じ百姓でいながら、その百姓仲間のためにしたことで兄貴がこんな目にあっているの、目の前に見ていながら、みすみす煮《にえ》湯ば呑まして知らん顔をしているのだぞ! (段六が何か言おうとするのに押しかぶせて)うう、百姓は弱え、受身だ、弱えとまたお前言う気だろが? 知ってら! それがどうしたてや※[#感嘆符疑問符、1−8−78] おら達今朝っからここへ坐って膝もすりむけたし、通る百姓の一人づつに拝み続けだぞ! (再び下から叩きの響き)ううっ! あっ! (両手で顔を押える)……ああ段六公、おら帰ろうてや、連れてってくれ。……済まねえのう。
段六 済むも済まねえもねえて。まわり合せだと諦《あき》らめるだよ。さあ帰るべ。
仙太 いや、もう少し……、諦らめられねえて。もう少し、もう少し待ってくれ。おら、おら……。
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(鳥追と馬方が土手の向うへ下って行き、姿を消す。叩きの物音。そこへ左手から中年過ぎの百姓の女房がフロシキに包んだヘギを抱えてヨロヨロするくらいにあわてて小走りに出て来る)
[#ここで字下げ終わり]
女房 お! まだ間に合うた。あああ、何てまあ仙衛ムどんなあ! むげえこんだ! むげえこんだてよ! (土手の端まで走って行って仕置場を見下して左右へウロウロ走り廻った末に仙太を認めて)あ、仙さんけ! 兄さんは、まあ何てえ気の毒なことよなあ。
段六 滝さんとこのお神さんですけ。へい、こうなればもうしようありましね。
女房 私あな、もっと早く来ようと思うて急いだなれど、なんしろはあ、秋の不作では、どっこの内でもろく[#「ろく」に傍点]に飯米も残っていねしさ、お取立てが二度も三度もあるんじゃもの、あっちでもこちらでもヒエやアワ食ってんのはまだええ方だち、芋ばかし食っている家が多いざまだであちこち捜し廻ってな、元村の作衛ムどんべに白げた米がやっと五ン合ばかしあったで、お借りもうしてな、大急ぎで炊《ち》あて握りままに拵えて来たわな。
段六 どうなさりまっす、そりば?
女房 いいえさ、私等仙衛ムどんにいろいろ厄介になっていても、こうなっと金も力もなあし、何んにもしてあげることもできねで、せんめて、村方お構いならしゃるのに白い米の飯でも腹一杯食べて貰おうと思うてな。
仙太 ありがとうごぜます! ありがとうごぜます! この通りでごぜます、お神さま。兄きが、兄きがそんお志、どんねえにありがたく思いますべ。……それにつけても、村方の百姓衆一統があんた様の半分づつのお心持でも持っていてくだされば、……これご覧なせえまし。せっかく書きあて参りました御願書に、今朝から散々お願えしても、他所村《よそむら》の百姓衆は愚か同じ真壁の同じ元村、同じ新田の衆、近所隣りから名主様五人組の組内の人まで誰一人としてお名前をくださる方はねえですて! お神さま、百姓同士というもんは、そんねえにむげえ薄情なもんでがすかえ? そんねえに。
女房 そりあな、皆さん、仙衛ムどん初め、今日のお仕置きにあう人達のこと何ぼうにも考えにゃ訳ではなかろうけんど、誰じゃとて飯も食えねえ有様では、そんだけの気の張りもなかろうよ。諦めなんせ。な。わが身が可愛いいで精一杯でえすて。
仙太 同じでがんす! 内の兄きじゃとてわが身が可愛くねえことはありましねえ! わが身が可愛いけりゃこそ、同じ百姓の人の身のうえも可愛いいで、あんなことしたんでえす!
女房 もっともじゃ! もっともじゃ!
仙太 (泣いている)でがしょう? 真壁新田の百姓仙右衛門は真壁全村やご領内百姓衆みんなの身の内の者ではねえでがすか? 百姓全体のわが身の内ではねえでがすか?
[#ここから2字下げ]
(その間も向い側の叩きの物音は続いている。それにつれて断続する群衆のざわめき)
(そこへ街道の左手――花道から急ぎ足に出て来る旅装
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