で斬られたりした事件があったりしまして、――
刑事 (顔の色を変えて)斬られた? 誰だ?
巡査 なに、収入役をやっとる地主のうちの細君ですがね、どうも米かなんかを出せと言われてはねつけたらしいで、そいで――。
刑事 よし! そんなことあよい。とにかく急報せんという法はない。
巡査 は、実は、そいで、いま行ってるとこでえす。
刑事 よし、早く行きたまえ。あ、それからねえ、私と一緒に東京方面の壮士をこの辺へ追い込んで来た本庁の真田という人がいてね、それがどうしたのか今朝から行方不明だ。ことによるとつかまっているかと思う。いや、まさか斬りはすまい。とにかく、それらしい者がいたら注意しといてくれんか。身なりはやっぱり私みたいに、こんな風だ。いいかね? おいおい(と右手への道へ駆け出そうとする巡査の肩を掴んで)そっちへ行く奴があるか! 寺にゃビッシリ奴らが詰めかけている。いま、此方へ二、三人やって来るらしい。
巡査 でありますか? 本官は、本官は……。
刑事 アワを食ってはいかん! 向うは命知らずばかりだ。いや、だから、もうすでに昨日あたり応援が県の方からもここへ着いていなけりゃならん筈だが。とにかく、それまで、奴等にあばれ出されてはいかん! 足尾か加波山へ追い込むことになっているから、山へ追い込めば此方のものだ。
巡査 ばく、ばく、爆裂弾を持っとるというのは本当でありますか?
刑事 馬鹿な! 持っていても高が知れている! しっかりしたまえ! そっちへ行くんだ! (振返って見て)おお、来やあがったようだ。さ! (花道へ向って走り込んで行く。あわてた巡査、佩剣を抱えて道角でグルグル二、三回廻った末、左手への道を走って消える。――急に静かになる。水田の泥掻の水音。……間)
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(右手から、前後を見廻しながら出て来る自由党の壮士三人。一人は着流し。一人は絣単衣に袴、一人は詰襟の洋服を着ている。三人ともつとめて平静を装うてはいるが、ひどい昂奮と緊張が明らかに見られる。洋服の男は仕込杖らしいステッキを突き、着流しの男は、抜身のままの脇差しを、ダラリと右手に下げている。無言。進んで来て、水田の中の稲が動いたのにギョッとして立どまる。ジッと水田を見詰めている)
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洋服 ……(つとめて押殺した低い声で)そこにいるのは誰だ?
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(水田からは何の返事もない。抜刀の男、ズカズカ進んで田に踏み込んで行きそうにする)
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袴の男 (動いている菅笠を認めて、指し)百姓だ。
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(それで抜刀の男は踏み込むのをやめる。三人、三方を見廻している。――間)
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袴 ……(水田へ向って)……おい……(と呼びかけながら着流しの男の抜刀に眼をやり、それをかくせと頤をしゃくる。着流しの男、抜刀を背後にかくす。(水田へ向って)……おい、こら! なぜ返事をしない、聞こえないのか? (稲田の中の者達は、稲の間から三人を覗いて見ておびえでもしたのか立上ろうとはしない。が泥掻きをする手を止めたらしく、稲も動かないし、水音もしなくなる)……おい!
着流 ハハ、恐ろしがっているんだ。
袴 そうか。馬鹿な、元来我輩等はお前達の唯一の味方なんだぞ、お前達になり代って藩閥政府の専横をぶち倒そうというのだ。恐がると言うのは聞こえない話だぞ。ハハ。しかしまあ、それでもよい、話は出来る。少したずねたいことがあるが、正直に答えてくれよ。ほかでもないが、この辺に仙太郎さんという百姓が、住んでいる筈だが、お前達知らんか? (田の中からは返事がない。が、誰か一人が身じろぎをしたらしく稲が一個所だけ少し動く)……どうだ知っては居らんか? ……(返事なし)
着流 この辺一帯で、斬られ、斬られ、または斬られの仙太郎と言って子供でも知っているということだから、家だけでも知らんということはあるまい、どうだ? (水田からは返事なし)
袴 あれは……元治元年、筑波党に参加してえらい働きをしたのだから、あれからザッと二十年、もういい年をした爺さんになっていよう、知っておらんか?
洋服 何でも利根あたりの郷士の娘で、一時筑波辺で女郎をやったこともあるとかいう恐ろしいベッピンの女豪傑を女房にしているそうな、俺あ足利で聞いた。願わくばその女郎あがりの女豪傑の美人も見たいもんだ。ハハハ。残んの色香という奴で、一つ叱られて見たいなあ。
袴 阿呆をいうな! 筑波の残党ならば、いわばわれわれの大先達だ。その細君のことを、貴様失敬な! (水田へ向って)どうだ、知っていたら教えてくれんか?
着流 急ぐのだ、早く何とか言え!
袴 教えてくれても決してお前達に迷惑のかかることではない。少しその老人に頼みたいことがあってな。
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