木が倒れるように雪の中にポスリと倒れる。
 呆然として立っている水木。
 山中をめぐつて鳴り出す陣太鼓の音)[#地付き](幕)
[#改段]

10[#「10」は縦中横] 真壁在水田

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 明治十七年八月末の晴れた日の午さがり。
 広々とした一面の水田で、早稲はすでに七分通り生長している。花道は村道。村道は本舞台にかかるとすぐ二つに分れて、一方は左袖へ消え、一方は右に曲って、水田の中を斜に断って、右奥へ曲って消えている。奥水田は岩瀬町から柿岡町へかけての低い山脈にくぎられ、右奥遠く高く肩を見せているのは加波山と足尾山である。
 明るいままに静かで、舞台には人影も見えない。しかし正面の水田の中三、四ヵ所で稲が動いてポチャポチャ水の音がするのは、三、四人の人間が泥掻きと草取りをやっているらしい。一番手前の者の菅笠と尻が時々穂の間からチラチラ見える。――そのままで間。
 花道から、小走りに出て来る中年の男二人。キョロキョロ前後を見廻し、青い緊張した顔をして七三で立止る。
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男一 そ、そ、そ、そんでもさ、いぐら、じ、じ、自由党の壮士と言うたとて、村の者、斬りはしねえろ、なあ。
男二 いや、役場へやって来た大将株が、そいったと! あんでも自分達のことば警察へいっつけたり、兵糧ば出さなかったり、壮士に仇をする者がいたら、村の者皆殺しにすると! あんでも、昨日上州の方から入り込んで来た二十人から上の壮士は、荷車に三台も四台も爆裂弾ば持っていたそうな!
男一 あーん! すっと、すっと、その爆裂弾、すっと、いま、普門院の本堂に積んであっ訳か! こりゃ大変じゃ!
男二 あんしろ、政府ばでんぐり返そう言うたくらみ[#「たくらみ」に傍点]だてや、この村なんど、どんなことになっか! 役場にゃ自由党おとろしがって誰もおらんし、村長さんの行方もわからん。駐在はおろか、分署にも誰一人おらんそうな! あんでも、村の若いし[#「いし」に傍点]の中でも、もう自由党のいうなりに加担した者がウンとあるそうじゃ! 村でもおとなしく兵糧出してやって、一刻も早く筑波か足尾か加波山あたりへ行って貰うようにすりゃええに。この辺で戦争にでもなられてみろえ、田も畑もメチャメチャじゃが!
男一 せ、せ、戦争だと! 戦争になっかね?
男二 なるて! 先刻、郵便脚夫から聞いたが、県の方でも何百人という巡羅や刑事ば繰出したそうな!
男一 こ、こ、こりゃいかん! (本舞台へ向って走り出す)
男二 (追いかけて)ど、どこへ行くだい、神田さん?
男一 どこい行くといって、そ、そ、そそ!
男二 自分一人逃げようたって、そいつは無理だぞ! 第一、わしら、村長と助役さん早く捜し出さねえ日にゃ、どもならんがい。アワを食うでねえよ神田さん。
男一 そりだと言うて! そりだと言うて! どうしべえ、わしら? 川股さんよ、どうしべえ?
男二 あにをガタガタ顫えるかね、神田さん?
男一 あんただとて顫えているぞ、川股さん! (出しぬけにかなり離れたところに在る寺で突き出す早鐘が響き出す。ワッといって飛び上る二人)
男二 そりゃっ! (駆け出しかける。それに後からしがみつく男一。男二振りもぎって走りかける)
男一 ひ、一人でおいとく気か、川股さん! いっしょに、いっしょに連れてってくんなてばよ! (すがりつく。一、二度こけそうになったりして二人左手の道へ走って消える――早鐘)
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(しゃがんで水田を掻いていた百姓の一人が、上体を起す。稲から胸の上だけを見せた姿はすでに青年になっている孤児の滝三である。黙って右手奥遠くの寺の方を伸び上って見ている。……間)
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滝三 ……何だろうか? また、普門院で寄り合いでもあっかね? (水田の中で、フムとそれに応える声がする。滝三あと暫く鐘を聞いていてから、再びしゃがみ込んで、泥掻きをはじめる。水の音。鐘の音)
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(佩剣を鷲掴みにして揚幕から飛出してくる巡査、七三でとまって寺の方を伸び上って見た後、再び駆け出して本舞台へ。道の分れたところまで来て、一旦右の方へ五六歩駆け込んでから思い返して引返して今度は左手の道へ駆け出そうとして躊躇し、曲り角に立ったまま、どっちへ行ったものかと考え、ウム! と唸っている。鐘の音が止む。そこへ右手の道からこれも小走りに出て来る角袖の刑事。薬箱こそ負うてはいないけれども、富山あたりの行商人のなりをして、脚絆草鞋がけ)
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刑事 おお君は――。
巡査 あ、あなたは本署の、たしか泉さん。――それじゃ――?
刑事 昨日から、此方だ。私は勿論してあるが、君の方からも急報は出してあるだろうね、県へは?
巡査 いや、それがその、村内
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