ば白々し過ぎると言うのだ! それは、命旦夕に迫った病人、それも薬という薬を試みても甲斐のなかった重病人に、いま更になって飴をなめさせて治せと申すのと同様! 人を馬鹿に扱うのはよい加減にされっ!
兵藤 馬鹿に扱ったと? 拙者が尊公をか?
井上 そうではないか! 拙者をとは限らぬ、水戸全藩を……。
兵藤 (おっかぶせて)救えぬ! うん、これでは救えぬ。ひねくれよったのだ。以前からそうであった。それが、庚申桜田のこと以来特に甚だしくなった。薩藩から見捨てられるのも道理だ。
井上 ひねくれたとっ?
兵藤 そうだ! 他に何といいようがある?
井上 (ジリジリして)ウー。よし、それはよい、ひねくれたとして置いてもよい。然しながら、庚申のことは拙者等、父祖先輩諸氏の義慨に発したことだ! ことの是非善悪に非ず、それをとやかく批議されるにおいては拙者としては黙許出来がたいことはご承知であろう。どうだ立たれるか! (畳の上に置いた大刀を掴んでいる)
甚伍 井上さん、まあ、ま……。
兵藤 それだ、すぐそれだ。庚申のこと以来と申しただけで、批議するといっても他に拙者が何を申した? ひねくれでなくて何だ? むしろ拙者一個としては、あれについては関先生以下の諸氏に感謝している。それとこれとは別だ。なるほど水戸の人間は鋭い。しかし鋭過ぎる。いつも行き過ぎるのだ。よろしい、立てといわれれば立たぬでもない。だがお互い命を捨てるのはいつでも捨てられる。ま、聞かれえ! なるほど諸藩連合のことについては、いまとなっては、いつどこでいってもいま更めくことは拙者も知らぬではない。全国諸藩の事情がかくの如く複雑に入り組んで来ては、連合の望みも殆どないというのも、一応の見方だ。しかしだ、よいか! そのようなときだからこそ、いまこのことを声を高くしていわねばならぬのだ! わかるか? 大道は複雑高遠のところにあるのではなく、却って単純な見易いところにあるのだ! 事柄の中に巻き込まれている者には、その事柄の繁忙の中に取りまぎれて、それが見えなくなってしまう。最初の大義を忘れがちだ。これが子供だましのように思える。殊に即今諸藩のやり口を見ていれば、漸く天下のことを没却して、各々自藩の利益々々と立廻るか、何事をするにもまず「わ[#「わ」に傍点]が藩が」「おれ[#「おれ」に傍点]の藩が」というところがありはしないか? 失敬かも知れんが、敢えて申せば、貴藩の去年から今年来のやり口、引いては単独での数回の打払い願い上書の如き、それだ! 如何!
井上 なにっ! そ、それでは貴藩はどうだ?
兵藤 拙藩にもそれがないとはいわぬ。いくらかあろう。しかしながら大局より見て、長州は貴藩ほど功をあせってはおらぬ。ま、下におられい。聞くだけは聞いてからでもおそくはない。なぜ、拙者がかかることが言えるかと申せば、出身が長州とは申しながら、拙者のいたしていること、いっていることは一国一藩の休戚のことでないと自ら信じているからだ。
井上 フン、フフ……。
兵藤 な、何をあざ笑われるのだ!
井上 おかしければ笑う!
兵藤 おかしいとは何がおかしい? 無礼……。
吉村 兵藤氏、君までか? ハハ、まあよいて。
甚伍 全く。もう、論の方はそれくらいになすって……。
兵藤 いや、ハッキリさせておかねばならぬこともある! 貴公、何がおかしいのだ?
井上 調法なものよ、口というものは! 何とでもいえる。フフ。
兵藤 それでは、拙者が腹にもないことをいっているというのか? それを聞こう。何がどうなのか聞きたい。いわぬか?
井上 そうか、それが聞きたいか。それなればいおう。いい抜けは無用だぞ、よいか貴藩のやり口が正々堂々の道を踏んでいるものなれば、第一に拙藩有志において常野《じょうや》の間に事を挙ぐれば貴藩においても相呼応して事を挙げ幕軍をして前後両難に陥らせようとの約、および第二にいよいよとなれば軍資武器その他のことは貴藩において考慮手配しようとの口約、これはどうなったのだ?
兵藤 そ、そ、それをまたいうか! 先程も……。(いいつづけるが、無駄と知り呆れたような顔をしてフームと唸っている)
井上 何度でも申すぞ! これについて明瞭な返答をしてから、いくらでも小綺麗なことを申されよ。大義とやらの話もその後で聞く。
[#ここから3字下げ]
(間。――井上と兵藤、マジマジと睨み合っている)
[#ここで字下げ終わり]
吉村 (甚伍左に)おい、酒はもうないか?
甚伍 へえ、何しろ無人《ぶじん》で。
吉村 表の児玉を呼んで買いにやるか?
甚伍 それでは外廻りの警固が手薄になります。
吉村 そうビクビクせずともよいということよ。
甚伍 しかし、何しろ……。
兵藤 (不意に青い顔になり)貴公は天狗組の隊士か?
井上 ……そうだと申したら、何と
前へ
次へ
全65ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング