え。が、吉村さんは公方様並びに一ツ橋様お声がかりの、大事な、大事な人だぞっ! どめくらめ! 時世も何も見えねえ、ワアワア連の言うままに、踊って、調子に乗って、人を斬る! 野郎、デク人形めっ! 諸藩連合、公武合体、ひいては御一新、吉村さんを無くしたために、どれ程遅れるか知らねのかっ! こ、こ、公武合体は筑波でも立てまえにしていることでは、ないかっ! 斬るなら斬るで、理否を明らかにした上、話の筋道を知った上に、なぜ斬らぬっ! デク人形めっ、馬鹿、馬鹿、馬鹿っ!
井上 何を、いま更! 仙太、斬れっ!
仙太 (甚伍左の言葉が耳に入るや、刀を下げて)なに、一つ橋様だと?
甚伍 そうだっ! 人のため、世のため、国のためを思ってすることならば、ためになるようには、なぜしねえんだっ! 一党一派を立てるための、差し当りの邪魔になる者は皆斬るのかっ! それのダシに使われて、それが、それが。デク人形め! (井上をそのままにして仙太の方へ迫って行く)
兵藤 甚伍、逃げろ!
井上 弁口無用っ! 仙太、聞くな、斬れ! そいつを斬れ! なぜ斬らぬ! 斬らんか! 利根の甚伍左獅子身中の虫だ。奸賊、斬らんか、仙太っ!
仙太 オウッ! (と叫んで本当に斬る気はあまりなく、ザッと甚伍左目がけて片手なぎに斬りつけた刀が甚伍左の腰をないだついでに柱にガッと音を立てたのと、兵藤がその隙に座敷の燭台を刀でパッパッとなぎ倒して四辺を真暗にしたのと殆ど同時。何もかも見えなくなった中を甚伍左と兵藤がタタタと、くぐり戸の方へ逃げ走る。足音)
井上 逃げるなっ!(それを迫って走りながら)仙太郎っ! 追うんだっ!
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(足音が入り乱れて、塀外へ。走って遠くへさる。舞台は真暗でシーンとなってしまう。
永い間。
やがてカチッカチッと小さな音がして、火の光が見える――お蔦が火打石でホクチに火を移しているのである。その、かすかな光の中に、座敷の真中に呆然と棒立ちになっている仙太郎の姿が見える。抜身は右手の柱に斬りつけて喰込んだままになっているので素手だ。――間)
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お蔦 ……せ、仙さん! こ、こわかった! 何てまあ……。(立って座敷に上り、燭台を捜す)お前さん、追っかけて行かなくともいいのかえ? ……(いいながらやっと燭をともして右手へ行き、吉村が斬られて落ちた辺をすかして見る)あたしゃ
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