のように
お前のわきをスレスレに小走りに通り過ぎた女が幾人もいたことに気がついたの?
雑誌の座談会や、新聞社の文化講座の帰り途の焼けビルの横ろじからツイと出て来て省線駅のガード下まで
お前のうしろに寄り添うて行った女がチョイチョイ居たのを
お前は、ただのパンパンだと思ったようね?
ほの暗い電燈の光のとどかぬ駅のプラットフォームの隅で
連れの男と熱心に何か話しているお前の背後に
紫色のカーチフを眼深かにかむって、ションボリと立っていた、くたびれたダンサアか女給が眼につかなかったの?
お前は夢にも知らないのだ
その時、私の右手がポケットの中で短剣のツカを握りしめていることを
お前の背中の左がわのどのへんが、ちょうど心臓のまんなかにあたることを
くりかえしくりかえし研究し練習して、私が知りぬいていることを
その気になりさえすれば好きな時に
ただ一突きでお前をたおす事ができることを
逃げて見ろ、あがいて見ろ!
どこへ逃げてもどんなにあがいても
そこは私の手の平の中だよ。
自由に、好きかってに、どんな事でも考えて見るがよい
どんな事でもして見るがよい
ピストルを用意してもよいし、神に祈ってもよい
みんなみんな、この私の手の平の中だよ。
三月になっても私がお前に手をおろさないのは、
猫の鼻の先にいつでも食える鼠を遊ばしておくように
すこしは楽しみたかったせいもあるが
それよりも、お前を殺そうと思った自分の気持が
ホンの一時のものかどうかを、ためしたかった
殺してしまってから、どんな意味ででも、どんなカスカにでも自分が後悔しないか?
そんな事を、短剣をお前の背中に擬しながら
自分で自分に考えさせて見たかったからだ。
それはない。たよりないほど、それはなかった
それが證拠に、お前を殺すことにきめた時から
私は食べる物がうまくなった
酒の味もおいしくなった
踊るのも唱うのも上手になったし、
男たちの腕の中でも、燃えかたが強くなった
フフ! 女のからだが、生れてはじめて、うずき走って、ふるえ出して思わず低く叫んだために
その夜の男はよろこんで私にルビーの指環をくれたのが
私がはじめてお前をつけて、短剣をお前の背中にかまえて見た晩だ。
虫ケラをひねりつぶすように私はお前をやれるだろう
今となって完全にお前の命は
私の手の平の中のオモチャだよ。
そうして三月の間お前の後をつけて歩いているうちに
私はおかしな事に気がついた
お前が外出する十度に一度ぐらいの割合で
月に一度か二度、その日の用事をたした後で
妙にお前がソワソワと落ちつきを失って
歩きながらもキョロキョロとあちらを見たり、こちらを見たりしているかと思うと
不意に自動車などに飛び乗って
それきり、どこへ行ったかわからなくなる事がある。
はじめ私は急に何かの用を思い出して、そこへ行くのだろうと思った
それにしては、なぜあんなにソワソワするのだろうとも思ったが
一度偶然にそういう時のお前をつけて見る気になって
その夜はお前が輪タクに乗ったのを幸い
私も直ぐに輪タクに飛び乗ってつけさせた
行きついた所は京橋裏の築地寄り
いや、あれはもう築地に入っている所かもしれない
川に添った裏通りの
表から見れば古いビルディングだが内部は空襲でこわれたままに
応急にガタガタと仕切って作ったアパートだった
そう、今となってはあれでも高級の部のアパートか
お前は車をおりるとキョロキョロと前後を見まわしてから
コソコソと、その建物に入って行き
一階の廊下の突き当りの左側の室のドアをノックしてから中に消えた
それを見すまして私はすぐに入って行き
ドアの前に立って耳をすますと中で女の声がして
それにお前が何か言っている
ドアのわきを見ると五号室とあって小さな名刺に田川と出ている
私はしばらくそこに立っていてからユックリ歩んで帰りかけたが
その時表から此処に住む人らしい人が入ってきた
トッサにどうしようと私は迷ったが、
見ると、直ぐわきに二階にあがる階段がある
腹をきめて、わざとユックリと落ちついた歩きかたで階段を昇った
人が見れば、二階に住んでいる誰かを訪ねて来た客に見えよう
昇りつめるとカギの手のおどり場になっていて
下の廊下からは見えないので、そこにしばらく立っていてから帰るつもりでフッと見ると
おどり場のわきの壁が焼夷弾でも受けた跡かポッカリと口を開けて
申しわけに二三枚の板が打ちつけてあるだけ
すかして見ると、その奥はまっくらで、天井裏になってるらしい
位置の関係から、それが今見た下の五号室の天井になってるようだ
頭にキラリと来るものがあって、よっぽど、その穴にもぐり込んで、天井のスキ間から
のぞいて見ようと思ったが、いくらなんでも出来なかった
そしてその晩はそのまま戻ったが
ハナから知らねばなんでもなかったの
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