「るのは敷石と、春さんのお墓だけ、サッパリして、いいかも知れない。
金吾 そうでやすねえ。だが、この石にしたって、もう四五年もすると、ここら草が生えて、埋まって見えなくならあ、ハハ。
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(一郎が何かグズグズ言う声)
音楽3 はるかはるか遠くの方で若い男の声で、明るい嘆きのような単調なメロディだけを歌うのが流れて来る。……
[#ここで字下げ終わり]
敦子 あれは何だろう?
金吾 開拓農場の方で何か呼ばわってるようだ。こんな負け戦さで、ああいうし[#「し」に傍点]たちも気の毒に、たまらねえ気がするらしいて。
敦子 でしょうね。
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そこへ林の奥からジョンのワン、ワンとほえる声が近づいて来て、その後から杉夫と金太郎が水オケをさげ、下ばえを踏んで近づいて来る。
[#ここで字下げ終わり]
金太 こらジョン! ジョンよ!
敦子 さ、水が来た。金太ちゃんも杉夫も御苦労さま。
金太 一番キレイなとこ汲んで来たよ。
杉夫 いやあ、僕はこのへんは初めてなんですけどね、谷の深いのには驚ろいた。川まで二百メートル位くだるんだから。
敏子 でしょう? 私も初め来た頃びっくりしたわ。
杉夫 それに、なんですかねえ、気圧が低いせいかな、馬鹿に気持は良いくせに頭がボーッとして夢でも見ているような気がする。
敦子 それに気が附いたのは、杉夫。こういう所に春さんも私も若い時分に来て歌を歌ったり、ボーッとして、そいで金吾さんを見たんだわ、ハハ。
杉夫 (金吾に向って)小父さん、今さらお礼も変ですが、どうもいろいろとありがとうございました。
金吾 なにがな?
杉夫 いえ、その、なにがと言うわけでは無いんですが、いろいろ、お母さんの事や敏子のことや、そいからこの一郎の事だとか、何から何まで、この……
金吾 いやあ、ハハ、ようがすよ。
敦子 春子さんにお水をあげましょうよ。さ、敏ちゃんから。
敏子 はい。……(ヒシャクで水を墓石にかける音をさせて)
お母さん、敏子です。お母さん、敏子ですよ。(涙声)……さ、一郎、あんたも水をかけるの。これ、おばあちゃんよ。一郎のおばあちゃんよ。(幼児の手に持ち添えて水をかける。「ばあちゃん! ばあちゃん!」と一郎の声)……お母さん、これがあんたの孫の一郎です。(一郎が、プウプウ、プウと言う)
敦子 (涙声)それから杉夫、お参りしなさい。
杉夫 はあ。……(墓に水をかける)お母さん!(軍靴のカカトをカチッと鳴らしてから低い声で)一週間前に復員して参りました。こうして敏子と一郎と一緒いますが、みんなお母さんのおかげです。
敦子 そいから金太郎ちゃん、あんたも春子おばさんに水をあげてやってね。
金太 うん。……(水をかけて)おらだよ、春子おばさん。
敦子 そいから、金吾さん。
金吾 (静かに歩を移して二三間離れていたが)……なに、俺あ、ええ、敦子さま。
敦子 そう? そいじゃ……(二度三度と水をそそいで)春さん、熱かったわねえ。……水をかけてあげる。……(又水をそそぐ)
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遠くでキッ、キッと鋭どい小鳥の声。
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敏子 あら、きれいな蝶々! 今ごろ蝶がいるのかしら?(一郎がその蝶に向って手を出してプウ、プウと言う)
金太 春子おばさん蝶々が好きで、おらといっしょに追っかけて歩いたっけ。
敦子 金吾さん。
金吾 (金吾四、五間はなれた所から)はい。……(なんとなく答えて、こちらを見て立っている)
敦子 (低い声で)敏ちゃん、見てごらん、金吾さん寂しそうだ。
敏子 (これも低声)ええ。……(プウ、プウと一郎の声)
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離れて立った金吾の姿を、こちらの四人がジッと見ている。サヤサヤと吹過ぎて行く風の音。
音楽(エレジックなテーマの。しかし暗くはない。場合によっては歌詞のない男声のみの二部合唱であってもよかろう。テーマを充分に押し出して。……やがて音楽を下に持って――。[#「――。」はママ]
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作者 ……「そうでやす、そんな時、春子おばさんの墓に水をかけながら、すこし離れて立った父の方を見ていたら、どこからか飛んで来た白い蝶が一匹、ヒラヒラとそこらを飛びまわりやした。それを見ているうちに俺あ、なんだか、春子おばさんが出て来て、父のぐるりを飛びまわっているような気がしたんです。……するとそんな時、春子おばさんの好きだった祭りばやしが山の奥から響いてくるのを聞いたような気がしやした。あれは俺の空耳だったのかもしれねえ。しかし、もしかすると奥の部落ではやしの稽古がホントに始まっていたかもしれねえ。……(その祭ばやしが、はるかに鳴りはじめる)とにかく、そうやって、春子おばさんの墓を囲んで敦子おばさんと敏子さんと一郎という坊やと杉夫さんと俺と、それから父とで、ずいぶん永いこと立っていやした……」(祭りばやし)
金太郎君が私にそう語りました。
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表へ出て来る祭りばやし。
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……金太郎君は既に二十を越した立派な青年になっていて、それが今は亡くなった養父の金吾老人を思い出させるような質素な、ガッシリとした百姓姿をして、草に埋れかけた二つの墓を見やりながら、ポツリポツリと語るのです。その足もとには、もう老犬になったジョンが、そのほとんど盲いた目で、何を見るのか黙々として坐っていました。その時蝶が飛んでいたという墓のほとりには、既にどこを見ても蝶の影も、花の姿もありません。ただ、秋の半ばの水気のなくなった草の中に、春子という人の石の墓、それから、それと直ぐわきに並びもしないで、二間ばかりも離れた所に、金太郎君が建てたという金吾老人の墓が静まり返っているだけでした。
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音楽
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……それは私が金吾老人のことを聞きに、最後にそこへ行った時のことで、これでいよいよ東京へ帰るというので、スッカリ帰り仕度をしてから、金太郎君の家を辞し、お別れにもう一度と思って、金太郎君とジョンといっしょにお墓参りに寄った時のことです。その足で私は野辺山の駅へ出て汽車で帰って来たのですが……
金太郎君の話では金吾老人がその時「なあに四、五年もたてば、こんな石ころなんず草の下に埋まってしまって誰も気がつかなくならあ」と言ったそうですが、そうです、この私にしても一度東京へ帰れば、もう再びこの二つの墓に参る折もないだろうと思いながら、別にかけてあげる水も無いままに、その墓石にソッとさわってみました。秋の陽を浴びた石は、いくらかぬくもりを保ちながら、しかし底の方から冷々とつめたい。どういう美しい人であったのか、その春子という人を私は遂に見ないわけです……。金吾老人は終戦の次ぎの年の秋ごろ二三日風邪をひいて寝ているうちに、誰も気が附かぬうちに亡くなっていたそうです。安らかな、すこし微笑んでいるような死顔だったそうで……ほとんど一生を唯一人の人に想い入って、その他のことを思うことのできなかった男、そういう事に男の一生をかける事が、幸福であるか不幸であるかさえも考える余裕もなく、その生涯を泣き暮し、しかもその晩年に於ては始終明るくニコニコと頬笑んでばかりいて、もうピタリと泣かなかったそうですが……そういう、愚かしい、むやみと手の大きかった男――そういう男が私の手の下の石の下に眠っているのだ、と、そう思ったのです。
[#ここから3字下げ]
音楽
[#ここで字下げ終わり]
……ヒョイと気がつくと、高原はもう夕闇に包まれて茫々と暮れかけています。汽車の時間も、もう僅かしか無い。おどろいて私は歩き出しました。金太郎君とジョンが言葉もなく後からついて来ます。(踏み分けられる秋草の音)
……遠い風が私たちのうしろから吹きすぎて行きます。目を放って向うを見ると、既に刈り終った四五枚の水田に切り株が点々と闇の中に没しています。その彼方には黒々とニジンだように見えるカラ松林がつづいています。
その水田を開いたのも、そのカラ松林を植えたのも、みな金吾老人のあの大きなミットのような手であることを、話で聞いて私は知っていました。
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遠くでボーッと汽車の汽笛。そして喘ぎのぼる列車の響。
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……「ああ汽車が来たようだ。そいじゃ金太郎君、ここで失敬します」と私が言うと「ああ、そいじゃどうかお大事に」と金太郎君は小道の角で立ちどまりました。ジョンの姿が見えないので、どうしたのかと思っていると、その時、今立去って来た黒田の別荘跡の方角から、ジョンが鳴くような声がして来ました。
「はは、ジョンの奴は、どうしたんでやすか、オヤジが死んでから、時々あの墓場のわきへ行っちゃ遠吠えをやらかす癖が附いちゃって――あれがそうでやす」金太郎君はそう言って寂しく笑いました。
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その犬の乾いた、引きのばした遠吠の声。
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……私はしばらくそれを聞いていました。
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(列車の響近づき、汽笛の音がジョンの声をかき消すようにボーウ、ボーウと高原一帯に遠くこだまして鳴りひびく、大の遠吠。更に汽笛。)……やがて、私は、金太郎君に別れを告げて、既に薄暗くなった秋草の小道を駅の方へ急ぎました。
音楽
[#ここで字下げ終わり]
底本:「三好十郎の仕事 別巻」學藝書林
1968(昭和43)年11月28日第1刷発行
底本の親本:「樹氷」ラジオ・ドラマ新書(上・下)、宝文館
1955(昭和30)年10月1日第1刷発行
初出:「樹氷」ラジオ・ドラマ新書(上・下)、宝文館
1955(昭和30)年10月1日第1刷発行
※この作品は、1955(昭和30)年4〜8月にかけて、NHKから計二十回ラジオ放送されました。親本のあとがきによれば、十一回目はそれまでのまとめで、内容的にはこのファイルにある十九回分がすべてです。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
※見出し前後の行アキ、字下げ、アキの不統一は、底本通りにしました。
※拗促音の小書き如何を含む仮名遣いは、底本通りにしました。
※疑問点の訂正にあたっては、親本を参照しました。
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2010年5月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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