きなのは八ヶ岳の裾の高原地帯で。ちょうどそれは太平洋戦争がはじまる一年前の夏のことで、やはり一人で出かけて、高原深くわけ入り、その方面でいえば、八ヶ岳の麓の人里では一番奥の、最後の部落にあたる落窪という村の旅人宿とはいっても、部屋の数四つばかりのごくさびれた内に二カ月ばかりいました。ある日のこと、午前中の仕事を終えていつものとおり、山歩きに宿を出たのですが、部落をぬけて深い谷川にかけた橋を渡ってしばらく行くと、農民道場があって、そこに各地からやって来て訓練を受けている青年達の明るい歌ごえが流れてきます。(二部合唱のうたを入れる)……それを背中に聞きながら私はやがて非常に深い原生林とカラ松と入れ交った森の中にわけ入って行きました。農民道場の歌声は次第に遠ざかり、夏だというのに蝉の声も聞えず、高原特有の肌にしみいるような静けさの中を森の小道をアテもなくスタスタと歩いて行きました。それ迄に二三度入りこんだことのある森で、三十分以上歩いて、もうそろそろ森を出ぬけてもよさそうだと思う頃、不意に近くで犬のなき声が聞える。足はその声に自然に導かれるようにしてしばらく行くと、明るいひらけたところにポカ
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