この人だけはどうしても諦めきれず、もう一度春子さんのホントの気持を聞いて見たい、なんとかして機会を与えてくれなんとかしてくれと泣くように言いますので、私から春子さまに頼みますと春子さんは例の調子で、さあさあとおっしゃいますので、春子様のお父様と春子さまと私に、香川、この四人が信州に行って、その夏を暮したのです……ちょうどそれは、別荘と自家用の炭を焼くために金吾さんが炭焼きがまを築くと言いますので、二三日前から香川は手伝いに通っていて、私と春子さんはあとから、その小川の岸に行くことになっていました……

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川のせゝらぎの音。遠く山鳩の声。石の上に泥をベタベタと叩き塗る音と、時々(石を石で叩く)ドシンドシンと石で地面をならす響。
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香川 (「札幌農大寮歌」をハミングしながら、それに拍子を合せて、炭焼ガマの外側に泥を塗っている)……。さあて、こっちは大体よしと。金吾君、上の方もズッと塗るの?
金吾 (声が出くぐもって聞えるのは、半出来のカマの内側にもぐり込んで、その下方を石でならす仕事をしているからである)いえ、上の方は結構でがす。それは原木を積み込んでから塗りこめるんで。
香川 じゃ、後の方をもう少しやるかな。……(と、ベタベタとまた仕事をはじめながら)これだけのカマで、一度にどれ位の炭が焼けるのかな?
金吾 へえ? そうでやすね、そこに積んである原木で大体まあ二度分ぐらい有るから、一度で先ず十俵たらずと言うとこだ。まあ四五回火入れをすれば、別荘とおらんとこの分の炭あ取れる。(ドシンドシンと石で[#「石で」は底本では「右で」]床を叩きながら)
香川 君あ、こんなカマの築き方なんか、そのほかいろんな百姓の仕事、誰に教わったの?
金吾 誰に? そうさなあ、誰に教わったと言うわけでもねえですよ。はゝ、自然に、この、見よう見真似で――
香川 そうかなあ。……僕ら東京へんで育った人間は駄目だな。
金吾 なんでやす?
香川 いや、これで僕なんぞ農科なんぞに行ってて、実習もさんざんやってるんだ。それがしかし一つ一つの実際の事になると、ほとんど役に立たないもんな。君なぞは、見てると、着々として山を買いとって、そいつを切り開いて畑は作り上げているし、小さいながら家もある。それを君あ四五年の間にやって来たと言うじゃないか。えらいと思うなあ。
金吾 えらいのなんのと、そんなこっちゃ無えですよ。わしらはそうしねば食って行けねえからしようことなしにすることだ。
香川 だからさ、僕らみたいに学校教育の中にアンカンとしてるだけでは、しょうが無いんだな。実あね、今度来てみるまではそれほどにも思っていなかったけど、例の水田ね、一昨年やって来た時、君あ、あすこにホンの十坪ばかりを囲って水を入れてジャブジャブひっかきまわしていたんだ。僕が見ても、まるで子供のママゴトみたいで、トボケタ話だと思ってたんだ。それが今度来て見たら、そうさ、あれでいくらの実も着いちゃいないけど、とにかく稲が育っているんだ。驚ろいちゃった。黒田先生もそう言っていられた。とにかく考えていては、出来ることじゃないって。
金吾 いや、わしら、考えようにも、そったら頭あ無えんだから、たゞめくらめっぽうにやって見るだけでやして。それが時には、まぐれ当りに当るだけでね。もっとも、あの稲についちゃ、半分は川合の壮六の骨折りだ。彼奴は俺のためにはるばる試験場からいろんな種もみ運んで来ちゃ、泊り込みで加勢してくれてね。奴は稲作の事にかけちゃ、あれで随分勉強もしてやすから。
香川 だからさ、その川合君の勉強にしてからがさ、直接にこゝらの土地や百姓と取りくんでする勉強と、僕等が教室で教わる学問との違いだよ。
金吾 そら、壮六と言う野郎は偉うがす。ヒョンヒョンと、いつもヨタばっかり飛ばしているが、中学校も二年ばかし行ってるしね。は、あの稲が二つ三つ花を附けた時の彼奴の嬉しがりようと来たら!
香川 そうだろうなあ……
金吾 アゼに立って、歌あ歌って盆踊りを踊り出す始末だ。しまいに、俺の頭あ、ぶっ叩きやがったっけ、はっはは。
香川 わかるなあ、その気持は。……(泥を叩く)川合君と言えば、ここんところしばらく、やって来ないなあ。(チョット歌の真似)やーれ、盆が来たのにっと。……歌がまだ習いかけだ。やって呉れないかな。
金吾 奴も忙しい身でねえ。この秋あの水田で育った稲から米の一升でも取れたら、その祝にあのタンボで酒え飲んで踊るんだなどと言ってる。……(石で床を叩きつゝ、歌の続きを口ずさむ)踊らぬう奴は、と。
香川 妙なことで、こんな所に来さしてもらって、君や壮六君などと知り合いになって、僕あ実際、思いがけない大事なことを知ったな。……(歌のつづき)木ぶつ金ぶつ。
金吾 (歌)石
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