い者のようなツヤが残っている。……そのうち非常に香ばしい、いい匂いがしはじめたので、何だろうと思っていると、老人はそれと察したのかニコニコと眼を小さくして、焚火の灰の下をほりおこして、コンガリ焼けた饅頭のようなものをいくつかとり出して、その一つを手の平にのせてポンポンと灰をたたき落してから、私にさし出して食えというのです。何だろうと思いながら口に入れると、コンガリと焼けたソバ粉の匂いのする餅のようなもので、中に塩アンのアヅキが入っている。噛んでみると非常にうまいものです。「何ですか」ときくと「オヤキだ」という。ソバ粉をねってこうして食うのだと少年が説明しました。老人は少し歯の抜けた口を開いて気持よさそうに高笑いをしながら「水をくんでくるかの」と立上って向うの傾斜をおりて行きました。私は先日老人に会った時のことをちょっと言うと、少年は「ああ黒田の別荘づら、あそこに行ってる時のおとうに何か言ってもダメだ」そういいます。何かわけがありそうに思いましたが、それをきくのは失敬なような気がして、その日はそこでオヤキとお茶をごちそうになって私は立ち去りましたが、それ以来、その老人一家と知り合いになって、時々その家にも立ち寄るようにもなりました。その一家といっても、家族の全員はその老人とその少年と犬だけで、女気は一人もない。その家はあのカラ松林の落窪部落よりのはずれにあって、少年が黒田の別荘と言った例の山小屋までは、ほとんど半道以上も距離がある所にポツンと建っている一軒家です。老人は柳沢金吾という名前で、息子の少年が金太郎という名前だったのには思わずほほえんだことです。ただし金太郎君は金吾老人の実の子ではなく、小さい時に養子に貰われたもののようでした。金吾という老人はこの地方きっての精農家で、ことにこの地方は土地が高いせいで、秋から冬へかけて大変冷える――つまりいうところの寒冷地――その寒冷地における稲作については非常な研究と成績をあげている人である、ということがだんだんにわかってきました。居間から座敷の鴨居に、県や農会やなどから与えられた表彰状、褒状などがずいぶんたくさんかけられています。落窪の部落にある農民道場からなども農作の仕方について話をしに来てくれるようにと懇請されているらしいが、いくら請われてもそういう所へは行かないようでした。そして毎日コツコツ田圃仕事や畑仕事に精を出すだけで、ただ五日に一度一週間に一度と、あの山小屋に行っては部屋の中の掃除をしたり、古びてこわれかけた居まわりの修繕をしたり、小屋の外の畑の手入れをしたりするだけです。その山小屋とその周囲の山林は、なんでも東京の黒田という家の所有になっている、それの管理一切を老人は古くから委されているらしいようなことでした。こんなふうに私はこの一家と知り合いになっただけで、別にそれ以上立ち入るということもなく過ぎていましたが、そうこうしてるうちに夏もすぎて秋も深まってきたので、私は東京へ帰らなければならなくなり、金吾老人と金太郎君とも別れを告げ、宿屋を引きはらって東京へ戻ってきたのです。次の年もだいたいその辺に行きたいという気でいましたが、やがて時勢はますます急迫して太平洋戦争がはじまり、その間、ご承知のとおり日本はさんざんなことになって、戦争は終り、終戦の次の次の年、その秋の末頃です、もういくらか肌寒くなったころ、思いたって私は信州へ行ってみました。そして金吾老人の家へも訪ねて行きました。そしたら金太郎君は非常に立派な青年になっていましたが、金吾老人はその前年、――つまり終戦の年の次の年に、もうすでに亡くなっていました。……あの無口な人が時々私のことを話しだしたりしていたが、つい二三日、風邪ひきかげんだと寝ていた末にポクリとなくなった。その告別式の時には、非常に盛大なお葬式だったそうですが、金太郎君は私のことを大変なつかしがって、ぜひ泊っていけと何やかやとご馳走してくれるので、五六日私は泊りましたが――お墓参りもしました。お墓は部落のお寺にあるのではなくて、例の黒田の別荘という山小屋の建っていたところにありました。行ってみると山小屋はキレイに焼けおちてしまっていて、あとは柱のたっていた敷石だけが家のかっこうに残っているだけで、その片隅に金吾老人のお墓が――質素な小さなお墓がありましたが、そのお墓のちょっとわきにもう一つお墓があります。墓のおもてをみると戒名が彫ってあるのですが、その戒名の関係から女の人のお墓だとわかります。それで私は金太郎君に、「これは誰のお墓? たしかお父さんにはおかみさんはなかったと思うんだが?」ときいたら、金太郎君は、「いや、そうじゃないんですけど」と言葉をにごします。そいで私は金吾老人のお墓にまいるついでに、そのお墓にも水をあげて拝んで帰って来ました。その
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