で親馬がいななく声。
[#ここで字下げ終わり]

金吾 うう!(さぐり上げて来るような妙なのど声を出す)
壮六 なんだ金吾?
金吾 う! う!
壮六 どうしただよ、お前?
金吾 うっ! うう! ぐっ!(これは突きあげて来る、泣き声をおさえつけたための声。しかしそのためにかえってこらえきれずになって、慟哭する)おう! おう!
勝介 どうかしたのかね?
春子 どうしたの?
壮六 こうれ、金吾っ!(金吾の方へ寄って行く)
馭者 ああん? なんだあ?
金吾 うう! おお! うう!(わけのわからない慟哭はつづく)

[#ここから3字下げ]
激しい、なにか混乱したような音楽。

それがしばらく続いて、フッとしずまって消えると、今度はそれとは全く調子のちがった、静かで華麗な、たとえば鹿鳴館風とでも言えるような音楽。
(東京の青山の黒田家の応接室のマントルピースの上のフランス製のオルゴール時計から流れ出すワルツ曲)
――それがしばらく流れて……
[#ここで字下げ終わり]

春子 (泣き真似)うう! うう! わあ! おおんって泣くのよ。うう、わあって、まるで手離しなの、熊が吠えているようなの! そのね、そのミットみたいな手をこうして、こうやって、ううう! おおうう! おおうう!
敦子 ホホ、大げさね春子さんは、ホホ!
春子 ノン! 大げさじゃないの。オー ノン! これ、マダム・フーリエよ、学院の。オー ノン! まったくの、その通りの、ホントなの。泥だらけの手がね、私の手の五倍ぐらいあるの、敦子さん、ごらんにならないから信じられないでしょうけれど。こんだお父様に証明してもらってもよろしいわ。
敦子 どうして、しかし、そんな大きな男の人が、そんな、仔馬が親馬の所に駆け寄ったのを見たぐらいで、泣くんですの?
春子 それがわからないから、こうしてお話してるんじゃありませんか。お父様は、それはお前の貰い泣きをして泣いたんだろうとおっしゃるけど、そんな筈は無いでしょ? そりゃね、私、この夏の旅行では、はじめっからお母様のことを考えてて、ことに信州のあの辺の景色は北海道によく似てる似てるとお父様からも言われているんで、私、しょっちゅうお母様のことばっかり思っていたの。そこへ、赤ちゃんの仔馬が気が狂ったように飛び出して、どうしたんだろうと思って見ているうちに、お母さん馬の所に駆け寄ってお腹に頭をこすり附けて甘たれはじめたでしょ? 見てて私、いっぺんに涙ぐましくなっちゃった。お母様! お母様! あたしのお母様はどうして、お亡くなりになっちゃったの? と、そう思ってね、ホントに泣いたかもしれませんの。それを見てて、その金吾と言う人、貰い泣きしたんだとおっしゃるの、お父様は、そんな事ってあるかしら、あんな、まるで銅像みたいな田舎の人が?
敦子 そうねえ。……ああ! もしかすると、その人にも、もしかするとお母さんが無くて――小さい時にお母さん亡くしてて、やっぱし春子さんと同じように、その仔馬と親馬見てて、それを思い出したのかもしれないじゃありませんの? そうだわ、きっと!
春子 そうかしら? だって、それにしても、そんなことツンともカンとも感じたりするような人じゃないのよ。まるで銅像みたいな、熊みたいな、そうだわ、マダム・フーリエに言わせると、ソヴァージュってやつのお手本みたいな[#「みたいな」は底本では「みたいう」]人よ!
敦子 そりゃ、しかし、そんなような人が、かえって心の中はやさしいかも知れなくってよ、案外。
春子 そうかしら。でもそりゃ敦子さんが、その人をごらんにならないからだわ。ま、一度ごらんになってよ、とてもそんな――
敦子 だって信州の山の中の人を私が見れる道理がないわ。
春子 じゃ来年の夏、ごいっしょに行きましょうよ。その人の世話でね、お父様、山を少しお買いになったの。来年の春迄にはそこに小さな別荘建てるんですって。向うの県庁の人に頼んでチャンともう大工さんやなんかもきまっててもう今頃は、その金吾と言う人やなんかで山を開いたりしているかもしれない。ね、御一緒に行って夏一杯みんなで暮さない? 長与の敏行さんも行きたいとおっしゃるから、お宅のお兄様もいかが、きっと面白いわ。
敦子 そうね、おともしたいわ。だけど、私は来年あたり、とてもそんな遊んでなんかおれなくなるかもしれないのよ。父が横浜で生糸の貿易などに手を出したでしょ、そっちの方の手伝いに行かされるかもわからないの。商人なんかほんとにいやだわ。春子さまはいいな、こうしてお父様とばあやさんの四人きりで、やりたい事はなんでもやれるんですもの。
春子 でも近頃では父も大学と農林省だけじゃなくて、叔父さんの会社に引っぱり出されたりして、めったに内にいないの。今日なんかも、前から博覧会には一緒に連れて行ってやる
前へ 次へ
全78ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング