ス。したら、次の年の春になって見ると、向うはあの調子だが、こっちの分はしっかりした新芽がギッチリ出やした。やれやれと思ってね、黒田先生の研究と言いやすか、学問の力はえれえもんだと、そう思いやした。俺あ、なんにも理屈はわからねえ、ただ馬鹿の一つおぼえで、そん通りにやっただけでさ。
春子 ほんとにねえ。……今となっては、お父さんの残して行って下すったものの中で、この三枚の苗畑が一番しっかりしたと言うか……しっかりしたものだという気がするの。私なんぞ、お父さんの一人娘でいながら、フラフラと、いつまでたってもたより無い弱虫で、しょうがない! そうなの。イクジなし! 現に久しぶりにこゝに来ても、病気でもないのに、五日も六日も眠ってばかりいて、それが目的の此の畑を見に来るのが、今日まで延びちまったんですから。
金吾 そらあ、だけんど、向うでのお疲れやなんぞ、この、お疲れが一度に出たんでやしょう。
春子 そうかしら。とにかく、もう、溶けるように眠いのよ。もっとも、小屋はあの通り静かだし、敏子はこゝの所おとなしいし、それに夜になると金吾さんが、泊りに来て下さるから、安心するのね。当分私、東京へは帰らないで[#「帰らないで」は底本では「帰らなで」]、こゝで暮そうかしら?
金吾 そうでやすねえ。……ちょっと、この草んとこにお掛けやしたら。
春子 ……ありがとう。(かける)
金吾 ……御主人はなかなかおいでにならねえようで――?
春子 敏行? そうね、直ぐ追いかけて来るような事も言ってたけど、なにしろ、気の変りやすい人で。それに、フランスから帰ってから、セメント山の事業に手を出して、忙しがっているの。
金吾 セメント山でやすか。
春子 いえ、山と言っても極く小さい所らしいけど、それでもお金が随分かかるらしいのね。株式とかにするそうだけど、でも社長になるためには、金を集めなきゃならないとかでね、夢中なの。
金吾 だけんど、お一人じゃ御不自由でがしょうに?
春子 え? ああ敏行? ううん、私なぞ居ない方がかえってノウノウと飛びまわれて、いいんでしょ。
金吾 ……香川さんとおっしゃった方あ、その後お元気で[#「お元気で」は底本では「お先気で」]やしょうか?
春子 賢一さんね、ブラジルでコーヒー園をやっていらっしゃるそうだけど、私の方へはちっともお便りないの。敦子さんの方へは、たまあにハガキなど来るそうだけど。
金吾 そうでやすか。……敦子さまは、すると相変らずおたっしゃで?
春子 えゝ、結婚なさって、横浜にお住いなの。そりゃお仕合せでね。しかしまだお子さんが無くて敏子を可愛がって下さるの。一週間に一度ぐらい来て下すって――昔からのお姉さまで、いい方だわ。いまだに私はなんのかのと心配ばかりかけて――私って、ホントにしょうが無いのねえ。(何を思い出したか、ホロリと涙声になっている)
[#ここから3字下げ]
山鳩の声が二つ三つ。
その声の中から出しぬけに男の声。
[#ここで字下げ終わり]
敏行 おーい! 春子う! おーい!(呼びつゝ山の傾斜を駆けおりて来る。急速に近づく足音と声)ちっ、こんな所にいたのか、何をしているんだあ?
やあ金吾君、相変らず元気だね?
金吾 ああ、これは敏行さま、しばらくでがして――
春子 あなた、いつ、こっちへ、いらしたの?
敏行 やあ、はは! いつと言って、今さ、鶴やに聞いたら、この方角だと言うからね。
金吾 知らして下さりゃ、駅までお迎えにあがるんでしたのに。
敏行 いや、急にやって来たもんだからね。でも駅にちょうど人力があってね。二人引きを頼んだら早かった、はは。さ、小屋へ帰ろう。こんな所に突っ立っていてもつまらん。
金吾 フランスからお帰りになった御挨拶もまだ申し上げてなくて――お帰りなさいやし。
敏行 やあやあ。なにね。どうも忙しくって、はは、さあさ行こう。
春子 ねえあなた、ごらんなさいまし。これがそのカラマツの苗畑ですの、金吾さんが守って下さった――
敏行 え、なんだ?
春子 そら、お父さまが、よく言いなすってたじゃありませんの? 金吾さんが三四年もの間チャント世話を焼いて下さって、立派にこうして苗木が育っているの。ありがたくって私――
敏行 そうか。そりゃ大変だったろう。そいで、こいだけの苗木、いつになったら売り出せるの? 全体でどれ位の値になるんだい?
金吾 そうでやすねえ、まだこいで後二年位は見てやらねえと――そうでやす、わしはまだ値段のことなぞよく知らねえんで。
敏行 ええと、これ全体で何段歩位あるかな? 苗木を売つて、どれ位の利廻りになるんかな、地代に対してさ?
春子 だって、この畑はそんな意味でお父さんお買いになったんじゃないわ。カラマツを育てて見ようと言う、つまり研究のために――
敏行 わかっている。し
前へ
次へ
全78ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング