すだけで、ただ五日に一度一週間に一度と、あの山小屋に行っては部屋の中の掃除をしたり、古びてこわれかけた居まわりの修繕をしたり、小屋の外の畑の手入れをしたりするだけです。その山小屋とその周囲の山林は、なんでも東京の黒田という家の所有になっている、それの管理一切を老人は古くから委されているらしいようなことでした。こんなふうに私はこの一家と知り合いになっただけで、別にそれ以上立ち入るということもなく過ぎていましたが、そうこうしてるうちに夏もすぎて秋も深まってきたので、私は東京へ帰らなければならなくなり、金吾老人と金太郎君とも別れを告げ、宿屋を引きはらって東京へ戻ってきたのです。次の年もだいたいその辺に行きたいという気でいましたが、やがて時勢はますます急迫して太平洋戦争がはじまり、その間、ご承知のとおり日本はさんざんなことになって、戦争は終り、終戦の次の次の年、その秋の末頃です、もういくらか肌寒くなったころ、思いたって私は信州へ行ってみました。そして金吾老人の家へも訪ねて行きました。そしたら金太郎君は非常に立派な青年になっていましたが、金吾老人はその前年、――つまり終戦の年の次の年に、もうすでに亡くなっていました。……あの無口な人が時々私のことを話しだしたりしていたが、つい二三日、風邪ひきかげんだと寝ていた末にポクリとなくなった。その告別式の時には、非常に盛大なお葬式だったそうですが、金太郎君は私のことを大変なつかしがって、ぜひ泊っていけと何やかやとご馳走してくれるので、五六日私は泊りましたが――お墓参りもしました。お墓は部落のお寺にあるのではなくて、例の黒田の別荘という山小屋の建っていたところにありました。行ってみると山小屋はキレイに焼けおちてしまっていて、あとは柱のたっていた敷石だけが家のかっこうに残っているだけで、その片隅に金吾老人のお墓が――質素な小さなお墓がありましたが、そのお墓のちょっとわきにもう一つお墓があります。墓のおもてをみると戒名が彫ってあるのですが、その戒名の関係から女の人のお墓だとわかります。それで私は金太郎君に、「これは誰のお墓? たしかお父さんにはおかみさんはなかったと思うんだが?」ときいたら、金太郎君は、「いや、そうじゃないんですけど」と言葉をにごします。そいで私は金吾老人のお墓にまいるついでに、そのお墓にも水をあげて拝んで帰って来ました。その
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