さっき、おっしゃったわね?
勝介 そうだよ。
春子 あら、だって、さっきは前の左側にあったのに、今、こうやって後ろにあるわ。
勝介 はは、だって、ごらん、うっすりと煙を吐いている。このへんに、そんないろんな火山は無いさ。
春子 そうかしら。
勝介 こうして馬車に乗っていると気がつかないが、これで、この辺の道はグルグルと、えらい曲っている。千曲川がこの辺では曲りくねって流れているからね、道はそれに添っているんだから。ねえ、あのう、なんとか君――川合君だっけ?
壮六 (案内の青年。馭者のわきの席から堅くなった口調で)はい? はあ、川合壮六であります。
春子 あら! あなた可哀そうと言うお名前?
勝介 これこれ春。
壮六 いえ、あの、川合と言う苗字で、名が壮六と言う――
春子 ああびっくりした。(クスクス笑う)
勝介 (これも笑いを含みつつ)こういう子だ、気にかけないでくれたまえ。
壮六 はあ、いえ。
勝介 佐久街道でも、たしか、このへんが一番曲りくねっていたねえ!
壮六 はい、そうであります。この辺からズーッとうん[#「うん」に傍点]の口から野辺山へかけて、はあ。
春子 あら、するとお父様、これが佐久の街道?
勝介 そうだよ。
春子 すると、このへんズーッと佐久ね?
勝介 そうだ。どうかしたのか?
春子 草笛がちっとも聞えないわね、それにしちゃあ?
勝介 草笛と?
春子 島崎藤村よ。
勝介 ああ、藤村か。
春子 小諸なる古城のほとり、よ。
勝介 うんうん、昨日のぼった――
春子 いいえ、その詩にあるの、歌悲し佐久の草笛って言うの。
勝介 詩はお父さん、わからんよ。
春子 (朗詠の節をつけて)歌悲し佐久の草笛。
[#ここから3字下げ]
(その詩の文句につづいて、トテートテー。トテトテ、トテーと明るいトボケタ音を立てて馭者がラッパを吹き鳴らす。それがあちこちの山肌にこだまして、さわやかに鳴りわたる)
[#ここで字下げ終わり]
春子 (びっくりして)あらら!
勝介 ほら、草笛のかわりにラッパだ、ははは!
春子 ひどいわあ!
壮六 (馭者に)おい、おい、おじさんよ!
馭者 (間のぬけたドウマ声で)あーん? なんだよう?
勝介 (壮六に)かまわん、かまわん。
壮六 (恐縮して)どうも、この小父さん、すこし耳が遠いんでして、はあ。どうも、もうちっとマシな馬車があるとよかったんで
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