害者
國本のオッサン
この人間の
なんとこぼすことよ
この人生への不満と不平と缺乏と
生れた時からこぼしぬいて
三十六にしかならないのに
四十八歳のつらをショボつかせ
勤めている商事會社の
資本主義を呪い
共産主義にあこがれるから
共産黨になるかと思うと
新年の拜賀に
宮城に行つて感泣し
日本はよい國だと
祝盃をあげると
二合位の酒で泥醉して
それであくる日から
通勤電車の中で
日本は地獄だと呪つている
自分だけが
いつでも悲慘な人間で
その悲慘さを
アメチョコのようにしやぶつて
自分が幸福だということを
まるで氣がつかない位に幸福

國本が被害者ならば
織田は加害者と言えるかもしれない
全く無意味に積極的で
自分のオッチョコチョイを
アメリカニズムだと言い
ちかごろそれを
スプートニキズムと呼んで
大學の若い科學者と交際し
拳鬪選手とつきあつて
勤めている新聞社で
科學記事と殺人事件には
必ずとび出して行く
セックスがいつさいだと言うのが
口ぐせだ
そのくせ細君は三人目の情人を持つている

あと何人書きつけてみても
同じことだ
その最後にションボリと
この俺という人間の姿がある
いとわしい
みんなみんな いとわしい
これが憎惡なら
俺は生きていただろう
憎惡するだけの張合いもなく
ただ意味もなくいとわしい
俺は汽車の中で
なんとかして遺書らしいものを書こうとして
手帳に向つていくら鉛筆をなめても
ついに一行も書けなかつた
何を書いてもウソになるのだ
遺書に書けるようなことのために俺は死ぬのではない
自殺者が 書きのこした遺書はみんな
あれはウソだ
いやいや 人一人が消えてなくなるのだ
どういう意味でも
他人に迷惑をかけてはならぬ
そう自分に言い聞かせて
なおも書こうとしたが遂にダメ
何を言つてもむなしいのだ
何を書いてもいとわしいのだ
人と人とは互いにキチガイ同志だ
何を言つてもわかりはしない

いやだ
いやだ
いやだ
歌うようにくりかえしながら
ヒョイと氣がつくと
小川の水に踏みこんで
ザブリザブリと
向う岸に渡り
灌木をわけて
崖をはい登つていた
闇の灌木の小枝に
顏や手をかきむしられながら
登りきつて大地に立つと
高原の空氣は 急にひえきつて
腹の底まで氷をのんだようになり
水にぬれたズボンの中で
足の皮膚がビリビリと痛む

俺が渡り越えたのは
ヨミの川か

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