車な事を言って居れる。しかしイザと言う場合に、ホントに自分を支えてくれるものは、大概、外部から見れば平々凡々たる単純なことだ。現に女房が死んだ時に俺を支えてくれたものは「神」の観念だった。……兵隊が死にぎわに、「天皇陛下万才!」と叫ぶそうだ。中には「お母さん!」と言って死ぬのも居ると言う。……俺にゃ近頃、そいつが身にしみる程よくわかる。そいつが嘘もかくしも無い自分だよ。ホントの自我だよ。……俺達は、その他の物からは逃げようと思えば逃げ出すことが出来る。しかし自分、自我からだけは逃げられん。これが、俺達に与えられた全部だ。そして、こいつは、ただの一|刹那《せつな》だ。良くも悪くも、その時その時にすっぱだかになって、アッと思って、やって行くきりだ。ベストを尽せば、人間の事は終る。裏切られたって、うっちゃられたって、醜い事を見せつけられたって、いいじゃ無いか。それも亦、めでたき人生の一部だ。元気を出せ。
登美 三好さんこそ、元気を出しなさい。なんなの、その恰好。今にもぶっ倒れそうよ。
三好 フフ、倒れるかな? しかたが無いじゃないか。(二人は互いに憐れむような顔をして微笑し合う)
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(そこへ、韮山正直が、ひどくキョトキョトしながら下手奥から出て来る。いつの間に玄関に行ったのか、手に自分の靴を下げて来ている)
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韮山 やあ、……(言いながら、奥を気にしながら、縁側に出て、手早く靴を穿きにかかる)
三好 どうしました?
韮山 いやあ、チョットな……(靴を穿き終って庭に降りる)
三好 本田さんとかは?
韮山 私は、これで、今日は……(エヘラ笑いをしてソソクサと歩き出す)
三好 え? 帰るんですか?
韮山 堀井さんには、いずれ又……。
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(そこへ、顔色を変えた本田一平が、奥から走り出して来る)
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本田 韮山さん! 韮山さん! どこへ行ったね、韮山――(その声を聞くや、韮山はアワを食って駆け出そうとしたトタンに庭石にけつまづいて、モロに転ぶ。もがいてはね起きて、ソソクサ走り出しかける。それを見るや本田は、いきなり、足袋はだしで、縁側から横っ飛びに飛び降りて行き、韮山にむしゃぶり附く)野郎、逃げるか!
韮山 ワァ! 痛いっ! 痛いがな! これ!
本田 人が、おとなしく話をしていりゃ、ナメやがって!
韮山 こ、こ、これ、乱暴な!
本田 はばかりに行くからって言うから、まさかと信用して此方は待っていりゃ……あんまり遅いから出て来て見ると、このザマだ! 話を中途にして逃げると言う手があるかっ!
韮山 そんな、そんな乱暴せんかて! なに、さらす!(二人、組打ちとなる)
三好 ……(登美と共に、アッケに取られて見ていたが、やっとの事で)どうしたんです? 全体、どうしました?
本田 どうしたも、こうしたも、この野郎! 人をナメやがって!
韮山 しゃあから、しゃあから、返さんとは誰も言うとらん! ただ、もう少し待ってくれと、これ程言うても、あんまり話がわからんよってに――。
本田 逃げるのか! よし、逃げて見ろ、野郎!(尚も二人取組合い)
三好 まあ、まあ……(思わず、縁側から飛び降りて来て二人を引分けにかかる。登美も縁側に出て来て見ている)
韮山 痛えっ! わても淀橋の韮山だ。逃げたりかくれたりはせんぞ!
本田 逃げたりかくれたりはせんと言う奴が、こうして、もう、とうに期限は切れているのに、しかも、私の方から何度も足を運んで行っている事を承知していながら、なんで逃げまわるんだ、此の狸め!(ピシリと韮山の頬をなぐる)二三日前から、私は、手前の家をはじめとして、妾の家までサンザンお百度を踏んで、追いかけて歩いているんだ。それを、それを、こんな所に逃げ込んで、シャーシャーとして昼寝なんかしていやがって――。
三好 まあまあ、そんな乱暴なことをしなくたって、おだやかに話しをすれば――。
韮山 (なぐられた頬を撫でながら)だれもシャーシャーとなんぞして居らん! 眠うて眠うてならんから、ツイ知らん間に眠っていただけや。
三好 全体、どうしたんですか?
本田 いやね、先程から、もうサンザン話をして、口がすっぱくなる程言っても、この人にゃわからんのですよ。大体、此の男には誠意と言うものが、まるで無い!
三好 誠意か……(朝の内、堀井博士に就て韮山が自分に対して言った事を思い出し、妙な気特になり、ゲッソリして手を引込める。本田と韮山の叩き合いはいつの間にか、やんでいる)
韮山 だから、いくらそんな風に言われても、無い袖は振れんと、先程から、私はこれ程言うてるやないか! 此処の堀井博士が金を返してさえ呉れれば、たかが千や二千、たった今でも返すからと、これ程言うても、あんたが――。
本田
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