寒いのでせうが。此の辺は陽が落ちると急に冷える。
紙芝 な、何でもない!(歯をカチカチ言はせる)
トヨ 大事になさらんと、いけんぞえ。あんたが病気になつたりすると、赤さん可哀さうだ。
紙芝 ……ありがたい、ありがたいなあ。……苦しいままに、苦しいままで(と訳のわからぬ事を独言しかけるが、ヒヨイと我れに返り)……あんた、日が暮れてしまふと、困りやしないかね?
トヨ はあ、もう下り一方ぢやから。
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(左手から女車掌の声)
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声 あーい、篠行き、乗る人無えかーあ。篠行きの終車だぞーお。篠行き無えかーい!(自動車のラツパの音)
紙芝 あ、あれに乗つて行つたらよい。さうしなさい。
トヨ 歩きます。賃金〈車賃カ〉無あで。
紙芝 私に有る。三十銭でせう。それ。
トヨ ……(黙つて相手を見てゐた後、その眼は相手の眼を見たまま、すなおに)……いたゞきます。あいがたうさん。あんたは?
紙芝 私あ高井。そこから、ズツとしつかり稼いで、一度東京へ帰つて見ます。……久保多町の青柳でしたね?
トヨ あい、どうぞお大事になあ。(涙ぐんで手を出しかける)
紙芝 (その手を避けて、一二歩身を引いて)急がんと、乗り遅れる。
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(トヨ思い切つてスタスタ待合を出て左手へ。橋の上で一度立停り、そのままの姿でヂツと考へて立つてゐた末、ヒヨイと振返るが、別に何も言ふ事が見付からぬので、再びスタスタ左手へ歩いて消える)
(黙つて見送つてゐる紙芝居)
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紙芝 ……トヨ、か。ふん……(間)……二百円、か……(左手で自動車の響とラツパ。紙芝居は眠つた子を背へ廻して、帯でキリキリとしばる。ガチヤンと落ちるハーモニカ。それを拾つて)アハハハハ。よからう! ああ! 日暮れか? 朝の様な気がするんだが……。(声色)おお行かうぜ、坊や、(外へ出る)坊や、深い馴染みの宿はあすこだ! (崖のふちに立つて暮れかけた山の方をヂツと見てゐる)深い馴染の宿は……(ハーモニカを吹いて見る。暫く吹いてゐて不意にピタリと吹き止め、目を据えたかと思ふと、そのハーモニカをバリバリ噛みくだく。歯ぐきが切れて少し血が出る)畜生、馬鹿!(言ふなり、そのハーモニカを待合小屋へ力一杯叩きつける。ハーモニカは窓硝子に当つて、硝子はバリンバリンバリンと鳴つて破れるのである)
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