文章はよく読んでみると、次ぎのようにホンヤクできそうに思われたからだ。「百合子は小金持の娘に生まれたんだから、そのまま打っちゃって置けば、ブルジョア女文士かブルジョア奥さんになってしまう筈だし、それが当人に一番ラクだったろう。しかし、当人がしっかりしていたから、苦しいのをガマンして左翼になったのである」と言ったふうに。そして、たしかに、その通りにちがい無い。苦しいのをガマンして、そうなったのは、えらい。だが、もうすこし、落ちついて考えて見ようではないか。
たしかに、そうなるために宮本百合子は苦しかったにちがいない。しかし、その苦しさと言うのは、主として観念的な苦しさではなかったろうか? 実際的な、又は肉体的な苦しさは、あまり無かったのではないだろうか? もちろん私は、実際的、肉体的な苦しさの方が、観念的な苦しさよりも、より苦しいなどと言おうとしているのでもなければ、考えているのでもない。しかし、人生について「ハンモン」しながらキレイな着物を着てゴチソウを食っている金持のお嬢さんの苦しみよりも、着る物も食う物も足りないために、いかに生きるべきかに具体的に苦しんでいる貧乏な女工の苦しみの
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