異様で「ハクライ」だからだろうと思われる。以上三通りに考えてみた。そして、第一のように考えても第二のように考えても第三のように考えても、そのいずれもが、非常に強くハッキリとブルジョア的な「好み」と「趣味性」と「習慣」を現わしている事がらだと思った。
次に、この作者がこの作品の中でトギすましている冷酷さ。全く無反省な敵本主義的な冷酷さが、私には強い印象を与える。実にそれは小気味が良い位のものである。この伸子やこの作者が無反省であるなどと言えば、人はチョット変に思うかも知れぬ。しかし、よく読んでみようではないか。なるほど、伸子も作者も、あらゆる個所でいろいろの反省をしている。又は、しているらしく見える。しかしそれは、いつでも伸子の立場を根本的には危くしない範囲内でのみなされている反省である。だから、それはホントは反省ではない。ばかりでは無い、逆にそれらは「兇器」になっている。というのは、とにかく形の上では伸子はムヤミに「反省的」な人間として描かれており、その伸子に相対する夫は珍らしく「無反省的」な――というよりも精神的にひどい盲点を持った人間として描かれているために、読者の目の前でキズを
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